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赤城・加賀 格納庫の拡大 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 加賀は、一段飛行甲板への改造に伴い、 既存の上段格納庫は、艦首側に58m、 中段格納庫は、艦首側に38m延長 されました。  既存の下段格納庫はそのまま使用され、 補用機を置くために使われました。格納庫を 延長する際、床面積拡大のために、壁面の 変更が行われ、搭載機数の増加に努めました。  改造が完了した時点の加賀の搭載機数は、 戦闘機12機、攻撃機36機、爆撃機24機の 合計72機で、補用機24機と合わせ、96機と なっています。  この搭載数は、当時世界最大のレキシントンや サラトガ(90機)を上回っており、世界最大の 搭載機数を誇る空母に、変身したことに なりました。  しかし、この後、航空機の大型化が進み、 主翼を折りたたんでも占有率が増し、 搭載機数は減少することになりました。  太平洋戦争突入時の加賀の搭載数は、 補用機も含めて75機であり、改造直後より 減少しています。  加賀の改造で、多段式飛行甲板の次に 大きな変化としてあげられる排煙は、 大改良が行われました。煙路周辺の 艦内温度を40℃台に上昇させる 結果となり、居住環境を損ねていました。  さらに、艦尾付近の気流を乱して、飛行機の 着艦を困難にさせていました。これが、 「海鷲(艦載機)の焼き鳥製造機」という 悪評をまねいており、改造は必須と 言えました。  艦尾に向けた誘導式排煙装置は撤去され、 赤城同様、右舷中央に集められ、海面に 向けて直接排煙する方式がとられました。  煙突出口の海水噴霧も行い、排煙温度を 下げて、気流の乱れを防止する方式が、 採用されました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 加賀の大改造 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 加賀が、一段式の飛行甲板の改造に着手 したのは、1933年10月で、1935年10月に 完了しました。加賀を改造するのは、排煙 システムの問題解消の他に、増速も求められた からでした。  そこで、一段式飛行甲板に改造するにあたり、 以下の点が改良されました。  「飛行甲板を、最上段の一段にする。」  「二段目と三段目の飛行甲板を廃止するこで、 既存の一段目と二段目の格納庫を、艦首方向に 延長する。」  「煙突を赤城同様、船体中央部右舷に設けて、 排出口を下向きにする。」  「主機関の一部を高出力の機関に置き換え、 速力アップを図る。」 「船体を、艦尾で8m延長し、推進効率向上を図る。」 「エレベータを2基から3基に増設する。」 「飛行甲板右舷前方に、艦橋構造物を配置する。」 「敵の航空戦力強化を予想し、対空砲火の強化を図る。」 「20cm連装砲を撤去する代わりに、単装砲を装備して、 砲戦力の低下を防ぐ。」というものでした。  これによリ、飛行甲板の長さは、171.2mから、 248mとなり、77m延長されたことになります。 これは、船体の長さより、長くなります。  幅は、30.5mで変更はありませんでしたが、 艦首に向かうほど狭くなっており、最前端は、 14.3mでした。  格納庫は、艦首から25mの位置に あったので、この分、飛行甲板の先端は、 宙に浮く形状になり、4本の支柱で、 支持されました。  加賀の飛行甲板は、水平甲板で、全面 鋼板構造ですが、77mから艦尾までは、 松板が敷き詰められていました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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