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赤城・加賀 赤城の排煙問題 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城と加賀の建造に対し、大きな対策 課題となったものが、主機関の多数の ボイラーから排出される排煙の 処理方法でした。  鳳翔は、ボイラーは8基で、最大出力3万馬力 しかないため、排煙はあまり多くなく、排煙の 煙路を右舷中央に集め、それを3本の煙突で、 排出していました。  赤城は、ボイラーは19基、13万馬力も あるので、6本の煙路にまとめられて、 右舷舷側中央部に集められました。 6本の煙路は、一本の巨大煙突から、 排出されるようになっていました。  しかし、高速航行で、大量の排煙を吐き 出すと、艦尾に不安定な気流を作ることに なり、着艦する飛行機は、不測の事態を 起こさせる原因にもなりかねませんでした。  鳳翔では、3本の煙突を、普段は直立にして、 着艦するときは、横に90度倒すという工夫が なされましたが、これでも、飛行甲板末端 付近の気流が乱れ、不都合となりました。  この問題を解決するために、煙突を横向きの 固定とし、先端は海面に向けることで、煙を 海に向かって吐き出す方式としました。 この方式は一応の成功をみました。  赤城も同じ方法がとられ、海面に向けて 突き出す方式が採用されました。しかも、 高熱の排ガスが艦尾付近での気流を 乱さないために、着艦作業時は、煙突 先端のダクトから霧状に海水を噴霧し、 排ガスの温度を低下させるという試みも 行われました。  これにより、気流が安定したので、後の 多くの空母に採用され、日本の特異な 構造の煙突を出現させました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 特異な姿の空母 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 二段目の飛行甲板は使用しないと決めたことで、 発艦は、三段目の飛行甲板を使用することに なりました。  しかし、この後、3.6tの艦上攻撃機が、正式に 採用された時、この飛行機は、三段目からは発艦 できないと判断されました。  結局、三段目も使用中止となり、多段式でありながら、 使用したのは最上段の飛行甲板だけということになり、 この後、一段式に改造されるまで、特異な姿の空母 として存在することになりました。  二段目の飛行甲板が、使用中止となったことで、 格納庫の前面を閉鎖し、空きスペースに羅針盤 艦橋を配置することになりました。  結局、赤城も加賀も、運用の初期から、 多段式飛行甲板の使用は消え去り、 最上段の飛行甲板のみで、発着艦が 行われるようになりました。  この後、新たに、横索式着艦制動装置が ヨーロッパからもたらされ、日本の萱場 製作所が、より実用的な、萱場式横索式 制動装置を1931年に開発し、海軍は、 この装置で、短距離着艦制動に成功 させました。  この装置を使うことで、赤城と加賀は、 最上段飛行甲板を発着艦両用に使うことが できるようになり、両空母の一段飛行甲板 への大改造のきっかけを作ることに つながりました。  赤城と加賀は、参考になる発達した空母が ないままに、不完全な姿の大型空母や、小型 空母を手本に、手探り状態で、設計された 空母でした。  そのため、空母としては、様々な必要な 装置や構造、設備において、いくつもの 特異なものが準備され配置されていました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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