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赤城・加賀 主砲装備の空母 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城は、1927年3月25日に呉海軍 工廠で竣工しました。完成時、基準排水量は、 26900tであり、巡洋戦艦として 計画していた時の41200tより、 14000tも減少していました。  これは、各種装甲と、主砲や副砲、上部 構造物が減少したためでした。その分、同じ 機関でありながら、速度は、予定より1.1ノット 速い、32.1ノットとなりました。飛行機は、 常用48機、補用12機の合計60機でした。  加賀は、1928年3月30日に、赤城 同様、三段式飛行甲板を持つ航空母艦として 完成しました。加賀も、戦艦としての計画より、 13000tも軽くなりました。その分、 最高速度は、27.5ノットとなりました。  この時完成した赤城と加賀は、三段式飛行甲板を 持つ航空母艦ということで、この後日本で 建造される空母とは大きく違っていました。  さらに、大きく違っていたのは、20cm主砲を 10門と、12cm砲12門を、装備していたこと でした。これは、重巡洋艦に匹敵する武装でした。  この当時、空母をどのように運用するか明確に なっておらず、艦隊行動中に敵艦隊と接近した時の 防御手段ということでした。これは、日本だけでなく、 アメリカやイギリスも同様の武装を行っていました。  そして、特徴である三段式飛行甲板ですが、 設計段階では、これらの甲板を使い分ける 予定でした。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 多段式飛行甲板型の航空母艦 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 天城の代わりに加賀を改造するにあたり、 ワシントン海軍軍縮条約参加国に連絡して 了承を得ると、直ちに加賀を改造する工事を 開始することになりました。  加賀は、横須賀工廠に曳航され、改造工事を 受けることになりました。しかし、戦艦の 改造は、高速戦艦の改造より多くの問題があり、 それらを解決しなければなりませんでした。  最優先すべきは、全長の短さと、速力の遅さ でした。船体の長さを延長することは、艦尾など 限定的な部分は可能でも、艦首や中央を延長 することは、当時の技術では至難でした。  また、機関を強化することも、既に整備されて いる機関やボイラーに、さらに追加することは、 不可能でした。そこで、可能な限りの増速 対策を講じながら、不利を偲んで戦艦を 改造するしかありませんでした。  加賀の改造工事は、赤城に準じて 行われましたが、赤城以上の困難な 作業となりました。  赤城の改造は、1927年3月に完了し、 加賀は、1928年3月に完成しました。 日本海軍初の大型航空母艦は、改造工事の 最中に起きた不測の事態を経て、ようやく 完成しました。  しかし、この時に完成したものは、多段式 飛行甲板型の航空母艦という、極めて特徴ある 形になっていました。  この特異な姿は、当時の空母建造・改造を 進めていた他の国も、初期の空母だからこそ 抱えていた問題を代弁していました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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