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巡洋艦摩耶 3回目の内地帰還 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 6月20日夕刻、傷心の艦隊は、沖縄の
中城湾に重い足どりでたどりつき、投錨
しました。

 マリアナ沖海戦で左舷側に無数の破孔を
生じた摩耶は、修理を受けるため艦隊と別れ、
横須賀に向かいました。

 井上氏にとって、五十鈴から数えて、通算
3回目の内地帰還でした。3回とも敵の
爆撃による被害で、危機一髪の難を
逃れて、内地に帰還していました。

 爆撃回避に関する限り、航海長である
井上氏は、自らの至らなさもあるのではないか、
あるいは、爆撃回避運動に対する新しい方法が
考案されているかも知れない、などと考えていました。

 そこで、入港早々、航海学校や、砲術学校の
意見を聞いたり、資料集めをして、自分の腕に
自信をつけようと、修理期間を利用して
泥縄式の観もありましたが、猛勉強を
しようと計画しました。

 摩耶の損傷は、比較的軽く、通常であれば
修理期間は短くて済みましたが、国内の
生産資材の供給が思わしくなく、修理用の
材料も手に入らないものがあり、ともすれば
工期も遅れがちでした。

 修理を待ちわびている間、サイパン、
グアム、テニアンと、表南洋の要衝は
次々にアメリカ軍に占領されていき、
新聞やラジオで守備隊の全滅が伝わると、
国民の声なき声は、日本軍敗色に
気が付き始めました。

 しかし、厳重な言論統制下にある
国内では、めったな口などきくことも
できず、戦局の実情を知っているものは、
ごく一部の階層でしかありませんでした。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 6月19日が終わる [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 摩耶は、敵機と1時間ほど交戦しました。
被害は、艦側の至近距離で爆発した一発により、
左舷側に無数の小孔があき、機銃員十数人の
死傷が、あったことが分かりました。

 また、舷側のバジルに若干の浸水があり、
二度ほど左に傾いていましたが、戦闘航海に
支障はありませんでした。このような対空戦闘が
3回ほど続いて、ようやく6月19日が
終わりました。

 井上氏には、戦況がどうなっているのか、
全くつかめませんでした。味方の航空攻撃の
成果と、敵艦隊の確実な所在を知るため、
あらたな情報が来るのを待っていましたが、
旗艦の大鳳から何の音沙汰もありません
でした。

 そのうち、大鳳が敵潜水艦の攻撃を受け、
沈没したらしいという情報が伝わって
きました。井上氏は、この情報を聞き、
日本軍の戦勢が、完全に不利になった
気がしました。

 そこに、航空攻撃も、ほとんど成果もなく、
大部分が敵艦上機の餌食になって撃墜
されたらしいという情報もあり、水上部隊は、
不安な気持ちのまま、夜暗を迎えました。

 その後は、水上部隊が、夜襲部隊を編成し、
夜戦による決戦を企図して、東方200海里にある
敵艦隊を求めて進撃しました。しかし、昨日からの
戦闘行動で、燃料を使い果たしており、作戦を
中止して反転するしかありませんでした。

 全軍、粛として西進する暗夜の洋上には、
味方油槽船が昼間の敵襲で攻撃を受け、
夜空をこがして炎炎と燃え、哀れを
とどめていました。

 サイパン島の陸上戦闘も、はかばかしい進展を
見ていない情報が伝わっており、皇国の行く末を
案じて、暗澹たるものがありました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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