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赤城・加賀 赤城の艦橋構造物 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城の艦橋は、加賀より大型の四層構造で、 平面形状も、加賀より大型化されています。  艦橋の一層目は、搭乗員や飛行科作業員の 待機所、二層目が、作戦室と、発着艦指揮所、 三層目が操舵室と、無線室、四層目が、 羅針艦橋でした。  艦橋の位置は、加賀の方が艦首寄りと なっていますが、これは、着艦時に パイロットの目障りにならないように ということから、なるべく前方にした という経緯があります。  さらに大きな理由は、この頃実用化された 横索式着艦制動装置の確実性に不安があった ということでした。  しかし、赤城の改造時は、着艦制動装置は、 進化しているため、指揮しやすい中央付近に なりました。  赤城と加賀の艦橋の教訓から、この後に 建造された空母の艦橋は、飛行甲板中央から やや前方よりに配置されるようになりました。  着艦制動装置ですが、当初は、飛行甲板の 前端から後端にかけて多数のワイヤを等間隔に 張り、このワイヤーに、飛行機の車輪の外側に 取り付けられたブラシ状の装置をこすり付けて 止まる、縦索式制動装置が装備されていました。  この当時は、飛行機は固定脚なので、車輪を つなぐ心棒も、減速効果を高めていましたが、 機体が回転して、海中に落下するという事態を 招いていました。  縦索式制動装置による着艦のために、長い 飛行甲板を準備しなければならず、多段式 甲板が現れた理由となっていました。  この状況は、1930年に入ってから 開発された、横索式着艦制動装置が できるまで、続くことになりました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 加賀の艦橋構造物 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城と加賀の艦橋は、最上段甲板最前部下 (二段目の甲板の上)に配置されましたが、 ここにあったのは羅針盤艦橋だけでした。  操舵室は、二段目飛行甲板に予定されていた 右舷前端の装甲室内に配置されました。  赤城も加賀も、竣工当初は、発着艦機の指揮を するための指揮所は、最上段の飛行甲板前端近くの 右舷に設けられていましたが、羅針盤艦橋などの 連絡が不便でした。  そこで、加賀は、1933年に最上段飛行甲板の 前端近くの右舷に簡易式の航海艦橋兼発着艦機の 指揮所を設けました。これは、加賀が、上海事変に 投入されたことによる実戦経験からの配置でした。  この特設艦橋は、効果的と判断され、加賀が 一段式飛行甲板に改造される際に、飛行甲板 右舷前方に、小型の本格的な艦橋構造物が 配置されました。  加賀の艦橋は、三層構造となり、飛行甲板 右舷から、外側に張り出すように設けられ、 一層目は、作戦室と、飛行科要員待機所、 二層目が、操舵室と、飛行指揮所、三層目が、 羅針盤艦橋となっていました。  羅針盤艦橋の上部に、高射砲と、20cm砲の 測的装置と、射撃装置が配置されていました。  遅れて、一段式甲板に改造された赤城は、 加賀とは反対の左舷に艦橋が配置されました。 そして、艦橋の位置は、飛行甲板中央寄りと なっていました。これは、右舷の煙突との バランスをとるためと、気流の乱れを 抑制するためでした。  しかし、左舷に艦橋を配置したのは、 この後に建造された空母では飛龍のみで、 他は右舷側にあります。それは、左舷の 艦橋は、右舷の煙突の排煙を乱すことが 判明したためでした。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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