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赤城・加賀 赤城の艦橋 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城も、加賀同様、一段式飛行甲板にした 時点で、甲板舷側に、艦橋を設置しています。 しかし、右舷側にある巨大な煙突とのバランスを 考え、艦橋は左舷側に設置しています。  これは、気流の乱れを防ぐという意味が ありましたが、実際は、左舷に置いたことが、 飛行甲板後部の気流を乱す結果になりました。 左舷に艦橋があるのは、赤城のほかは 飛龍のみとなりました。  艦橋は加賀の経験を活かしてコンパクトに なっており、高さは7.7mしかありません でした。  飛行甲板には、赤城も加賀も、海軍工廠開発の 横索式着艦制動装置が装備されました。横索を、 飛行甲板から20cmくらいの高さで、艦橋付近まで 等間隔に張っていました。  この装置で制動できる飛行機の最大重量は4tで、 この当時の最大重量は、3tだったので、停止は 十分に可能でした。赤城は10本、加賀は8本 張られていました。  なお、横索にフックを引っ掛けられず、飛行甲板 前方に飛び出してきた飛行機を強制的に止める 制止索も、設けられていました。制止索は、 テニスコートのネットのようなもので、基本 原理は、横索式制動装置と一緒でした。  赤城は、前部エレベータの手前に2箇所、加賀は、 中央エレベータの手前に3箇所配置されていました。  加賀の改造の際に、日本海軍は、発進促進装置、 いわゆるカタパルトを装備する計画がありました。 しかし、各種の問題があり、加賀はおろか、この後 建造された空母にすら装備されることはありません でした。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 赤城の改造 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 赤城の飛行甲板一段化の改造は、加賀から 2年遅れて、1935年11月に、加賀を 改造した佐世保海軍工廠で、開始され、 1938年9月に完成しています。  赤城の一段化は、加賀に準じて行われて いますが、一部違いがありました。飛行甲板は、 全長249.2m、全幅30.5mとなり ましたが、加賀と違い、赤城の全長より 短くなっています。  飛行甲板の形も、先細りの加賀と違い、 中央部が最大幅となり、前後に向かって、 細められた形となっていました。  先端を支柱で支えている点や、鋼板4.5cmの 厚さに、20cmの松の厚板が敷かれているのは 同じでした。  側面から飛行甲板を眺めると、加賀は、 傾斜はなく水平でしたが、赤城は、中央 艦首寄が一番高く、「へ」の字構造となって いました。艦首に2度、艦尾に1.5度の 傾斜になっていました。なぜこのような傾斜が つけられたかは不明としています。  格納庫は、加賀同様拡大していますが、 総面積は、加賀より狭く、その分、艦載機の 搭載数は減ることになりました。  赤城、常用機66機、補用機25機の合計91機で、 加賀より5機少ないという結果になりました。  エレベータも、一基増設することになりましたが、 前部のエレベータは撤去され、新たに、中部と前部に 設置しています。  前部のエレベータは、当時の日本最大規模の 産業用エレベータで、艦上攻撃機が、主翼を 広げたまま、収納できました。  赤城の改造で、加賀と最も違っているのは、 艦橋の位置でした。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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