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巡洋艦摩耶 武蔵撃沈 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 第一波の攻撃が終わりをつげようとする
11時すぎ、一本の魚雷が武蔵の後部左舷に
命中しました。しかし、10cm以上ある防御
甲板のため、ほとんど被害らしい被害もなく、
艦は戦闘を続行していました。

 こうして、第一波の攻撃は、約40分ほどで
終わりました。それでも艦内には、あちこちに
小被害や犠牲者が出ていました。

 便乗者の井上氏には知る由もありません
でしたが、戦いの現実はいつも厳しいものが
あることは確かでした。

 第一波に続き、第二波、第三波と次々に
来襲する敵の攻撃はついに夕方まで続き、
その最後が大何波であったかも覚えて
いられませんでしたが、午後5時頃には、
武蔵も満身創痍でした。

 致命的な被害を受けて、艦は大きく
右に傾き、航行は不能、砲塔も旋回できず、
上甲板には、戦友の屍や、被弾の痕が
あちこちに見られました。

 井上氏は、後で知ったことですが、
その頃の武蔵は、機関室に浸水し、
魚雷は20数本も命中しており、
沈没寸前の姿であったという
ことです。

 武蔵は、午後8時過ぎ、大爆発とともに、
シブヤン海の夜空をこがして沈没して
いきました。幸か不幸か、摩耶の乗員は、
沈没2時間ほど前に、駆逐艦に移乗して
いたので、難を逃れることができました。

 しかし、摩耶の乗員の中には、武蔵救難の
ために在艦を命じられた応急班員もおり、
この中には、武蔵と運命を共にした乗員も
多数いました。戦後になっても、胸の痛む
悲しみのタネだとしています。

 井上氏は、空襲が終わろうとする最後の
爆弾の破片で、左顔面を負傷し、包帯で
頭をグルグル巻きにされて、駆逐艦に
移乗していました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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巡洋艦摩耶 「山雨いたらんとして、風桜に満つ」 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 井上氏は、いずれにしても、明朝から
起こるであろう激戦に備えるために、充分に
睡眠をとることが大切と考え、10時頃、
空き部屋のベッドで、ぐっすりと眠りました。

 10月24日、シブヤン海の真っ只中に
入った艦隊は、早朝から対空警戒航行
隊形である輪型陣を作って、18ノットの
速力で快進撃を続けていました。

 やがて、日の出前後の時間に入ると、
はやくも水平線の彼方に、敵の触接機が
現れました。予期された空襲の第一波は、
午前10時ごろにおとずれました。

 雲霞のような小型機の大群は、まずレーダーに
補足された後、ついで双眼鏡の視界にも出現
しました。もちろん艦隊は、全機撃墜の構えで、
あらゆる対空砲火を準備していました。

 手ぐすね引いて待機している状態は、
「山雨いたらんとして、風桜に満つ」
という言葉が、ピッタリの雰囲気でした。

 敵機は、刻々と近づき、艦隊の砲火が一斉に
発射されるころには、分散隊形をとり、次々に
攻撃隊に移りました。

 次の瞬間、そこに現出した場面は、すさまじい
決戦の修羅場でした。撃墜される敵機、全対空
砲火器のはげしい発射音、急降下爆撃による
命中音、艦橋にうずまく戦闘指揮の怒声、
まさに、この世の地獄ともいえました。

 しかし、これも歴戦練磨の艦隊将兵には、
慣れっこになってしまった風景で、そのために
錯誤が起こることはまずないといって、
良かったと言えました。

 それでも恐ろしいのは、敵機の急降下攻撃と、
魚雷攻撃でした。これは、一発でも艦に命中
すれば、駆逐艦などの小艦艇は、吹っ飛んで
しまう威力を持っていました。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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