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赤城・加賀 水上機母艦若宮 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 水上機母艦若宮は、1901年にイギリスで 建造された貨物船レシントンで、日露戦争の 最中、香港からロシアのウラジオストックに 向けて、戦利品を搭載して航行中、 日本海軍に拿捕されたものでした。  当時としては、標準的な貨物船で、日本軍は、 雑用貨物船若宮丸と改名しました。1913年、 海軍の秋の大演習で、本船は青軍の特務艦と して使われることになりました。  特務艦の任務は、水上機を3機搭載し、空中 偵察を行うという画期的な戦法でした。この 試みは成功し、若宮丸は、多少の改造が 施され、水上機母艦として運用される ことになりました。  飛行機は、仮設の格納庫を造り、飛行機は、 格納庫側面から引き出すようになっていました。 海面には、既存のクレーンを使っておろしました。  船名も若宮とされ、1914年8月に正式に、 水上機母艦となりました。この時期は、第一次 世界大戦勃発直後でした。  これは、イギリスが、最初の水上機母艦 アークロイヤルの完成に先立つもので、 若宮は、世界最初の水上機母艦の タイトルを得ることになりました。  若宮が搭載した飛行機の一種モーリス・ ファルマンは、全幅15.5m、全長10.14mの 二人乗りで、最高速度85km、後続時間は 2時間でした。  もう一種のカーチスは、全幅11.3m、 全長8.5m、最高時速80kmで、航続時間は 3時間でした。  2機種とも一部に金属が使われていましたが、 大部分が木製であり、主翼や尾翼は羽布張りで、 その姿から、「あんどん飛行機」というあだ名で 呼ばれました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 水上機の運用 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 水上機の運用を開始した直後の1914年、 第一次世界大戦が勃発し、日本は、イギリスと ともに、連合軍の一員として参戦することに なりました。  日本海軍は早速この購入した機体や、 国産化した機体を、実戦投入する計画を 立てました。  ドイツの租借地となっていた、沿岸の要衝の地、 青島(チンタオ)に、強力な陸軍部隊が守備に ついていました。日本は、この青島の攻略を 行うことになりました。  攻略に先立ち、青島周辺のドイツ軍戦力を 偵察する必要があり、そのために急遽、手持ちの モーリス・ファルマン3機(1機は国産品)と、 カーチス1機を使い、空中偵察を行うことに しました。  そのために、本機を搭載し運用可能な艦船の 準備に入り、海軍の雑用輸送船「若宮丸」を 改装し、水上機4機を搭載し、にわか仕立ての 特設の水上機母艦若宮を完成させ、青島沖に 派遣しました。  若宮は、世界最初の水上機母艦であり、 同時に、航空母艦でもありました。さらに、 世界で最初に実戦に参加した航空母艦と なりました。  若宮は、4機の水上機を搭載して、 直ちに青島攻略作戦に参加しました。 飛行機は、合計49回の出撃を行い、 敵陣地の偵察と、小型爆弾による攻撃を 行っています。爆弾は、乗組員が、 手で投下しています。  若宮は、この作戦中敵が敷設した 機雷により船体が損傷し、修理のため 日本に帰還していますが、水上機は、 全て至近の海岸に集めて、海岸から 出撃を繰り返しました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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