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赤城・加賀 密閉式格納庫 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 飛行機の格納庫は、鳳翔を建造したときから、 手探り状態で行っていました。鳳翔は、戦闘機 6機と、攻撃機9機の15機と、補用機が6機と されていました。  しかも、規模は小型の上、攻撃機は、翼を 折りたたむことができたので、格納庫へは 容易に入れることができました。  しかし、赤城や加賀は、排水量で、鳳翔の 3倍はあり、そのまま応用することは できませんでした。  鳳翔は、手探りで作られているので、 運用結果から出される意見を充分に 参考にしない限り、赤城や加賀に 応用することはできませんでした。  赤城や加賀が建造された時は、鳳翔より、 イギリスのフユーリアスを、応用しています。 飛行機格納庫の配置や、形状、どのように 構築するかは、基本的にフユーリアスの 経験が反映されました。  そして、この配置は、その後の多くの 日本空母も踏襲しています。アメリカの 開放式格納庫とは違う、イギリスと同様の 密閉式格納庫になったことから、この事情を 証明しています。  密閉式は、様々は設備や、構造物で囲まれた 艦内の空所を、格納庫にするというもので、 蓋が飛行甲板となります。  敵の爆撃は、飛行甲板に装甲板を張ると同時に 格納庫甲板に装甲を張るという方法がとられました。 周囲には、居住区や、作業室、機械室などがあり、 格納庫の大半は、舷側から完全に、密閉された 構造になりました。  この構造は、実戦では大きな問題を引き起こす ことになりました。結論からすると、アメリカの 開放式の方が、良かったと言えます。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 横廠式横索型着艦制動装置 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 1930年に、フランスのシュナイダー社が、 世界最初のフユー式横索型着艦制動装置を 開発しました。  イギリス、アメリカ、日本は、いち早く この装置を購入し、既存の空母に装備して、 試験を繰り返しました。  日本は、試験の結果から、縦索式着艦制動 装置より、短距離での着艦が確実になることが 実証され、萱場製作所が、フユー式を改良した より実用的な装置を開発しました。  海軍は、横須賀海軍工廠が、独自に横索式 着艦制動装置を開発し、極めて優秀な結果を 生むことになりました。  この装置は、「横廠式横索型着艦制動装置」と 呼ばれ、太平洋戦争で活用された全ての空母に、 使われることになりました。  イギリスやアメリカも、フユー式着艦制動装置が 基本になって発達しました。この装置は、現在の 空母の着艦制動装置も、原理と構造は、全く 同じです。  縦索式型着艦制動装置では、1929年に 開発された89式艦上攻撃機は、止まることが できず、横索式着艦制動装置の開発は、 タイミングの良い時期でした。  横索型着艦制動装置は、飛行甲板に横に 張られた横索に飛行機の胴体部から下げられた フックを引っ掛けて、飛行機の行き脚を止める というものであり、横索は、飛行機により ある程度引っ張られ、機体の破損を防止 しています。  現在の空母は、引っ張られる横索を停止する のに、油圧式や、電磁式で行うようになっています。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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