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赤城・加賀 諸元 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 今回から、空母赤城と加賀を、
著名:航空母艦「赤城」「加賀」
著者 大内 健二
出版 光人社NF文庫
を元に、紹介をしていきます。

 空母「赤城」「加賀」の諸元をWikipediaから抜粋してみます。

「赤城」
起工 1920年12月6日
進水 1925年4月22日
竣工 1927年3月25日
最期 1942年6月6日雷撃処分
除籍 1942年9月25日

要目(全通式空母時)
基準排水量 36,500英トン
公試排水量 41,300トン
全長 260.67m
水線長 250.36m
水線幅 31.32m
飛行甲板 249.17m×30.48m
エレベーター3基
着艦識別文字: ア
吃水 8.71m
出力 133,000hp
速力 31.2ノット
航続距離 8,200カイリ / 16ノット
乗員 最終時 1,630名
兵装 20cm単装砲 6門
12cm連装高角砲 6基12門
25mm連装機銃 14基28門
搭載機 常用66機、補用25機
1941年12月7日保有機
零式艦上戦闘機:21機
九九式艦上爆撃機:18機
九七式艦上攻撃機:27機

「加賀」
計画 大正6年(1917年)
発注 1919年1月
起工 1920年7月19日
進水 1921年11月17日
竣工 1928年3月31日
最期 1942年6月5日沈没
除籍 1942年8月10日

要目(竣工時)
基準排水量 公表値 26,900英トン
約29,500英トン
公試排水量 33,693英トン
全長 782 ft 6 in (238.51 m)
水線長 755 ft 6+1/8 in (230.28 m)
垂線間長 715 ft 0 in (217.93 m)
最大幅 103.91 ft 0 in (31.67 m)(水線下)
水線幅 97 ft 0 in (29.57 m)
深さ 15.45m
高さ 上甲板まで81 ft 3 in (24.77 m)
帰着甲板まで約97 ft 0 in (29.57 m)
飛行甲板 帰着甲板:562 ft 0 in (171.30 m) x 100 ft 0 in (30.48 m)
発艦甲板:180 ft 6 in (55.02 m) x 80 ft 0 in (24.38 m)
エレベーター2基
吃水 26 ft 0 in (7.92 m)[7][注釈 1]
ボイラー ロ号艦本式重油専焼缶 大8基、小4基
主機 ブラウン・カーチス式タービン(高低圧) 4基
推進 4軸 x 210rpm
直径 4.419m、ピッチ4.877m
出力 91,000shp
速力 計画 27.5ノットまたは 28.25ノット
26.7ノット
燃料 5,300英トン
航続距離 8,000カイリ / 14ノット
乗員 竣工時定員 1,271名
昭和6年3月調 1,269名
兵装 20cm連装砲2基4門
20cm単装砲6門
45口径12cm連装高角砲6基12門
13mm連装機銃4基
留式機銃2挺(1931年)
装甲
舷側:152mm~279mm
傾斜:14.0°
舷側: 5インチ(127mm)VC鋼(傾斜15度)
搭載艇 12m内火艇2隻、10m内火艇2隻、12m内火ランチ2隻、9mカッター8隻、9m通船2隻
搭載機 三式艦上戦闘機:16機
一〇式艦上偵察機:16機
一三式艦上攻撃機:28機
合計:60機

紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」
著者: 大内 健二
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巡洋艦摩耶 戦争直後の体験 [巡洋艦五十鈴、摩耶]

 最後に、井上氏の戦争直後の体験を
紹介します。

 井上氏は、戦後、空母鳳翔の航海長として、
ラバウル方面から、表南洋方面の復員輸送に
従事していました。その途中で、ヤルートに
停泊中、偶然アメリカ戦略爆撃機調査団一行と
出会ったことがありました。

 艦長と一緒に、彼らの乗艦を、儀礼的に
訪問しました。そこで覚束ない英語で、話を
していたら、「日本海軍は、どの海戦を最も
よく戦ったと思うか。」と尋ねられました。

 井上氏は、即座に「ガダルカナル海戦には、
日本海軍全力を投入して戦ったので、これが
一番激しい戦いだったと思う。」と返答して
います。

 すると、先方から、「アメリカ海軍は、
ハワイ海戦と、レイテ沖海戦が最も立派だった。」
と言われました。井上氏は、内心ぎくりとしたと
しています。

 井上氏の返答は、日本海軍が最も苦心した
海戦を意味しているのに対し、彼らの質問の
趣意は、兵術的に日本海軍の良かったと
思う海戦にあったからでした。

 後になり、おびただしい戦記物が各国から
出版され、レイテ沖海戦の作戦構想自体は、
極めて立派なものであるということが分かって
きました。

 主力は、フィリピン方面の敵艦隊に対して、
決戦を挑むと共に、機動部隊は、敵艦隊を
フィリピン北東海面を牽制するというもので、
この陽動作戦は効をなしており、作戦構想を
賛嘆させていたと知りました。

 しかしながら、レイテ沖海戦は、作戦自体は
立派であっても率いた司令官が無能のため、
全く意味のない海戦になったといえます。


紹介書籍:重巡「最上」出撃せよ
著者: 「矢矧」井上芳太、「那智」萱嶋浩一、「熊野」左近允尚敏、最上:曾禰章、「五十鈴、摩耶」井上団平
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