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赤城・加賀 エレベータ駆動システム [航空母艦「赤城」「加賀」]

 エレベータの駆動システムは、電動機の 回転を、変速ギアで減速し、連結ギアに よって、直角に交差するエレベータ駆動用の、 太い回転軸に回転が伝達されました。  回転軸は、数個の回転ドラムが取り付けられ、 回転軸の動きにより、回転ドラムに取り付けられた ワイヤーが、巻き取られたり、巻き戻したりする ことになります。ワイヤは―回転ロールを介して、 エレベータに連結されています。  エレベータは、電動機の動きに従ったワイヤの 動きにより、ガイドレールに沿って、上下しました。 この構造は、鳳翔からこの後に建造された空母まで、 基本的に変わるところはありませんでした。  一段式に改造された赤城と加賀のエレベータは、 3基となり、30tを超える重量のものになって います。  赤城と加賀が、建造された時に使用された 多段式航空甲板は、設計段階ではメリットがあると みられていましたが、就役後、数年後に、飛行機の 重量が増したことで、下段の飛行甲板からは 飛び立てないという問題が発生しました。  当初想定されていた13式攻撃機の場合、 武装して2.9tなので、全速で向かい風を 作れば、下段からも飛び立つことが可能でしたが、 この後、作られた89式攻撃機は、3.6tと なったので、赤城からでは発艦は危険でした。  まして、赤城より速度の遅い加賀は、不可能という 状態でした。ここに、横索式着艦制動装置が開発 されたので、一段式に改造することになりました。  そして、排煙システムの問題を抱えていた加賀が、 最初に改造を受けることになりました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 赤城のエレベータ [航空母艦「赤城」「加賀」]

 空母の独特の設備として、エレベーターが あります。エレベーター自体は、岩や水を バランサーに使用した装置が、1000年 以上前には作られていました。  電動式のエレベータは、1889年に アメリカで実用化されています。電動 エレベータは、その後、ニューヨークで 8階建て以上の高層ビルができるように なると、急速に発達しました。  日本では、1890年に、東京の浅草に 建設された高層ビルに、直流電動式の エレベータが設置されています。  その後、産業用エレベータも開発され、 大型エレベータに関する基本構造や、 動力システムの開発も日本で進められ ました。  空母に搭載された世界最初の エレベータは、イギリスの アーガスでした。  飛行甲板と格納庫を連絡するもので、 世界最初の重量級(10t)エレベータであり、 日本やアメリカにも、たちまちこの技術が 伝わりました。  鳳翔には、2基のエレベータが装備され、 前部は、8.5mと12.8mの方形で、後部が、 11mと13.7mの変則的な形をしたものでした。 エレベータの重量は、10~15tで、駆動電力は、 100馬力前後でした。  赤城は、2基のエレベータを搭載し、前部22t、 後部20tとなり、この当時の14式攻撃機に、 魚雷を搭載した重さは、24.9tになりました。  130馬力で駆動しており、毎分40mの速度 でした。この速度だと、格納庫から飛行甲板まで、 7秒で上がることになります。  一段式に改造された赤城のエレベータは、 30tに達し、出力は160馬力という 大型のものに置き換えられていました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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