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赤城・加賀 巡洋戦艦 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 巡洋戦艦は、高速を得るために防御を 軽量化した戦艦ですが、第一次世界大戦で、 イギリスとドイツ海軍の巡洋戦艦が、海戦で 重要な働きをしたことから、巡洋戦艦に対する 評価が高まり、各国海軍は、建造に力を 入れだしました。  巡洋戦艦の特長は、高速性で、戦艦は、 22~25ノットでしたが、巡洋戦艦は、 30ノットの高速を出すことができました。 速力差は、6~9ノットですが、1時間航行 すると、11~17kmの差となります。 砲撃時に、この差は大きな影響があります。  八八艦隊の戦艦の内訳は、戦艦が、既存の 金剛型4隻(36cm砲8門)と、長門型2隻 (40cm砲10門)に、新規に加賀型戦艦2隻 (41cm砲10門)の8隻でした。  巡洋戦艦は、すべて新造で、天城型4隻と、 紀伊型4隻の8隻でした。この内、ワシントン 軍縮条約締結時、加賀級2隻と、天城級2隻が、 建造中で、他は準備段階でした。  条約に従い、これらは廃艦となりました。 そして、巡洋戦艦2隻を空母に改造する ことにしました。 (追記)  ワシントン海軍軍縮条約は、海軍の目で 見れば、大内氏の言う通り理不尽な決定と言え、 当時の海軍は、そう考えていたと言えます。  しかし、日本全体の経済力などを考えると、 ワシントン海軍軍縮条約は、合理的な条約といえ、 アメリカやイギリスと一緒に遵守すべきだったと いえます。  アメリカが、本気で建造したら、太平洋戦争 後半のような状況になることは、この当時でも 分かることであり、アメリカの建造を抑える ためにも必要だったと言えます。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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赤城・加賀 八八艦隊計画 [航空母艦「赤城」「加賀」]

 ワシントン軍縮条約が締結されなかったら、 実行に移されていた、日本の八八艦隊計画に ついて紹介します。  日露戦争後、日本海軍はアメリカを仮想 敵国とする国防方針を打ち出しました。 当時の環太平洋諸国の中で、巨大な 海軍力を保持する国は、日本および アメリカだけでした。  アメリカは、ハワイ諸島やグアム島、 フィリピンにアメリカ海軍太平洋艦隊の 拠点を持ち、日本が無視できないほどの 海上戦力をこれらの地域に配置して いました。  日本が、太平洋から東南アジア方面に 進出しようとした場合、アメリカの干渉や 妨害を受けることを意味するもので、 相応の海軍戦力を保有する必要が ありました。  八八艦隊計画を打ち出した1919年は、 第一次世界大戦の戦争景気でまだ 潤っている時代であり、日本海軍は この好機により、強大な海軍戦力の 構築を図ろうとしていました。  八八の意味は、艦齢8年未満の既存戦艦 および、新造戦艦合計8隻を根幹とする 主力艦隊を整備する計画で、さらに重巡洋艦と 軽巡洋艦多数と、新鋭の駆逐艦多数を建造し、 主力艦を援護するものでした。  この計画には、空母の姿はなく、大艦巨砲 主義の時代でした。1919年の空母の発達状況 (鳳翔すらできておらず、空母への航空機の 着艦など到底考えられない時代。水上機母艦 若宮があるくらい。)を見れば、当然の ことといえます。  ワシントン海軍軍縮条約を締結したことで、 八八艦隊計画は中止され、建造中だった、 天城型巡洋戦艦を航空母艦に改造する ことになりました。 紹介書籍:航空母艦「赤城」「加賀」 著者: 大内 健二
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