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山口多聞 ミッドウェー攻略前の不安 [山口多聞]

 源田参謀の索敵を増やす必要がないという
意見に、吉川航空乙参謀も、索敵に航空機を
さくには、艦上攻撃機を使用することになるが、
攻撃力が減ることになるという理由で、索敵を
増やすことに反対しています。

 機動部隊司令部は、山本長官の口を通して
伝えられた注意事項を、有名無実化させて
いました。

 それでも、山口少将は、語気を強めて、
「索敵は勝敗を決するものだ。再考して
ほしい。」と言っています。しかし、
考慮されることはありませんでした。

 5月27日の海軍記念日に、南雲機動部隊は
広島湾を抜錨しました。この日は、東郷平八郎
元帥がバルチック艦隊を破った日として海軍
記念日となっています。

 しかし、この日が出撃になったのは、備品が
揃うのが1日遅れたからで、縁起を担いだ
わけではありませんでした。

 むしろ山口少将は、どうせならもっと
遅らせればいいのにと考えていました。
それは、アメリカ機動部隊と戦うのであれば、
空母は多い方がよいという考えからでした。

 現在、翔鶴は修理中で、瑞鶴は準備が
出来ていませんでした。珊瑚海海戦で、空母
2隻を撃沈したというのが唯一の朗報でした。

 しかし、山口少将は、ヨークタウンは撃沈を
確認していない上に、エンタープライズ、
ホーネット、ワスプ、サラトガ全てがそろったら
5隻となり、明らかに不足と感じていました。

 仮に敵の空母が2隻であっても、敵の攻撃力は
我が軍の2倍はあると想定して望むべきであると
しています。さらに、真珠湾の時と比べて、
たるんでいることにも不安を抱きました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 最後の意見 [山口多聞]

 今回の、ミッドウェー・アリューシャン
作戦では、機動部隊が二つありました。

 南雲長官が指揮するミッドウェー攻略
作戦に当たる機動部隊が、第一機動部隊。
アリューシャン攻略作戦の機動部隊を
第二機動部隊と呼んでいました。

 第二機動部隊は、角田覚治(かくたかくじ)
少将が率いる空母龍驤と隼鷹がいました。
隼鷹は、ミッドウェー開戦後、後に完成する
飛鷹と組んで第二航空隊を結成することに
なります。

 南雲機動部隊が出撃する前日の5月26日に、
旗艦赤城で作戦計画の説明と打ち合わせが
行われました。山口少将は、ここで、索敵が
少ないことに対して、意見を述べています。

 これに対し、航空作戦を担う源田實参謀は、
「アメリカの機動部隊がミッドウェー攻略中に
出現することは考えられない。」という自意識
過剰なほどの自信にあふれていました。

 源田参謀は、イギリスやドイツの「航空戦略に
精通しており、自らも飛行機を操縦するほどの
人物だったので、説得力がありました。

 司令部の観測を鵜呑みにした上に、源田参謀の
見解から、索敵はおざなりになりました。

(追記)
 源田参謀は、戦後、ミッドウェー海戦について、
「我が軍の機密暗号の解読によって、相当部分が
敵側に漏れており、敵は我が軍の企画や行動を、
あらかじめ察知していた。

 しかし、我が軍は、自分達の機密は完全に
守られているという判断の上に立っており、
開戦以来の戦闘経過から推して、敵側の
戦意は極めて低いものであると思っていた。」
としています。

 うぬぼれていたとしか言いようのない話です。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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