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山口多聞 敵艦隊発見 [山口多聞]

 山口少将の命令を受けた航海長は、伝達用
黒板に内容を示し、それを受けた信号員は、
発信内容をメガホンで読み上げ、信号台に
伝えました。

 60cm信号用探照灯は、羅針艦橋の下の
上部艦橋と、屋根部分の防空指揮所に設置
されていました。探照灯は、レバー操作によって、
全面のシャッターをすばやく開閉して明滅し、
モールス符号を送りました。

 午前4時20分、信号が発信されました。赤城
から信号了解の解信符が送られてきました。
しかし、兵装転換中止の動きはありません
でした。

 すると、20分後の4時40分に、偵察に出ていた
利根4号機から、「敵らしきもの10隻見ゆ。ミッド
ウェーから方位10度、444km。針路150度、
速力20ノット以上。」という報告がありました。

 巡洋艦に搭載された偵察機の内7機は、攻撃機と
同時刻に発進していました。しかし、利根の1号機と
4号機は、少し送れて飛び立っていました。

 作戦会議では索敵を充分にするため、山口少将は、
10機の索敵機を飛ばすべきだと主張しており、
そうすることになっていました。しかし、
司令部は、出し惜しみしていました。

 司令部は、近海に敵機動部隊はいないという
先入観にとらわれていたので、作戦会議で
決まった索敵を充分にすることと、兵装
転換禁止という決め事を、ことごとく
無視していました。

 しかし、機動部隊がいると予想していた
山口少将は、利根偵察機の報告で、「やはり
いたか」と感じました。

 そして、艦種の確認をするように命じました。
空母がいるはずだと考えていたからでした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 アメリカ軍の時間稼ぎ [山口多聞]

 山口少将は、赤城と加賀の兵装転換の光景を
想像し、「格納庫では、悲鳴をあげているだろう。」
と考えていました。実際、赤城と加賀の乗員は、
汗だくで、兵装転換に追われていました。

 山口少将は、苛立ちました。ミッドウェー基地には、
戦闘機や雷撃機が配備され、まるでこちらの動きが
見えるかのように襲撃してきました。あるいは、島には
レーダーが配置されているかもしれませんでした。

 山口少将は、ミッドウェーの武装化は、アメリカ軍が
こちらの動きを知った上で、時間稼ぎしていると感じて
いました。そして、敵機動部隊が近くまで迫っていると
考えていました。当然、兵装転換などすべきではないと
判断しました。

 山口少将は確信を抱き、異例ながら航海長に、赤城の
司令部に意見具申をすることにしました。「今朝来より、
敵機の動向状況に鑑み、敵機動部隊出現の算大なり。
考慮されたし。」というものでした。

 この命令を受けた航海長は、山口少将が、険しい
表情を見て、顔をこわばらせました。伝達用の黒板に
内容を記すと、声高く復唱しました。

(追記)
 日本軍のレーダーは、この年の3月に、
ようやく艦船用の21号と22号の試作品が
完成し、戦艦伊勢と日向に搭載されました。
両戦艦は、山本長官率いる主力部隊に
参加していました。

 21号は、翔鶴、飛鷹、隼鷹に搭載されることに
なっていましたが、南雲機動部隊には、レーダーの
搭載が間に合いませんでした。伊勢と日向にしても、
実験として参加しており、実効性を試す段階でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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