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山口多聞 敵空母の電波 [山口多聞]

 6月4日、機動部隊は、ミッドウエー北西
440km地点まで到達しました。

 夕食後、飛龍の前部下部電信室に戻った
二等兵は、指示された周波数にダイヤルを
合わせ、敵信号の通信傍受を始めました。

 突然、短いながら強い電波を受信しました。
鉛筆で、最後の呼出符号を書きとめ、暗号室へ
報告しました。

 これが敵空母のものであることがわかり、
すぐさま山口少将に伝えられました。山口
少将は、敵機動部隊がミッドウェー付近に
やってきていると判断しました。

 信号の意味を聞きましたが、4~5秒なので
分からなかったと言う事でした。赤城に伝えるか
確認された山口少将は、ハワイ攻撃の際に、
蒼龍で敵空母の電波を傍受し、発光信号で
伝えたときになしのつぶてだったことを思い出し、
南雲長官は攻撃で頭が一杯だろうとして
伝えませんでした。

 同じ頃、大和の通信班も傍受しており、南雲
機動部隊に伝えるか、山本長官は幕僚に
図りました。通信参謀は、電波封鎖の途中で
あり、敵に位置を知らせるべきではないとして、
伝えませんでした。

 通信参謀は、機動部隊は、大和よりミッドウェーに
近い位置にいるので、傍受しているはずだとして
います。これは、完全な憶測であり、都合のよい
見解だったといえます。

 6月4日、午後11時30分、飛龍の艦内に総員
起こしの号令がかかりました。ハンモックに寝ていた
搭乗員たちは、身支度を整え、飛行甲板に上がり
ました。

 甲板には、兵装を完備した第一次攻撃隊の
艦上機が後方にぎっしりと並んで、暖機運転を
していました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 無線封鎖 [山口多聞]

 司令部の源田参謀は、数日前から発熱し、
自室で寝込んでいました。風邪の症状と
思われました。

 臥せっている源田参謀の元に通信参謀が
やってきて、「変針下令の電報を打つと
言っています」と伝えてきました。

 源田参謀は、その言葉を聞き、「なに!
絶対にいかん。」と言い放っています。
通信参謀も同様の意見を持っていましたが、
通信参謀だけではどうにもならず、
臥せっている源田参謀の力を借りるしか
なかったので、来たようでした。

 しかし、直ぐに通信参謀は、源田参謀の
ところに戻ってきて、「どうしても打つと
言っています。」と伝えてきました。源田
参謀は、そんなことをすれば自滅すると
確信していました。

 欧米の包囲探知機やレーダー技術は、
日本のものより数段優れていました。源田
参謀は、ここで、電波を発すれば、機動部隊の
位置をみすみす敵側に知らせてやるような
ものだと考えていました。

 源田参謀は、軍装に着替えて艦橋に
上がりました。そして、草鹿参謀長に強い
口調で「今、電波を輻射することは、絶対に
いけません。」と言っています。

 すると、当直参謀が、「すでに発信して
います。」と答えています。源田参謀は
あまりにも軽率だと感じました。真珠湾の時は、
無線封鎖を徹底させていましたので、あまりの
違いであるといえます。

 しかも、皮肉なことに1時間もしないうちに
霧が晴れ、視界が広がってしまいました。
前方を行く警戒隊の第十戦隊旗艦長良や、
駆逐艦まで視認できました。

 後方も、空母や戦艦が戦列を作っていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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