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山口多聞 制空隊の狂い [山口多聞]

 戦闘機隊がいないのは、あってはならない
狂いが生じていたからでした。

 飛龍の戦闘機隊は、攻撃隊の直掩を担って、
攻撃隊の上空にいました。しかし、左側を飛んでいた
制空隊がなぜか離れていってしまいました。

 左側の制空隊が、編隊が戻ってきた時、
右側にいた制空隊は、敵機と勘違いし、左に
旋回していきました。そのため、直掩も右側の
攻撃隊についていくことになりました。

 双方が近づくと、味方だと分かって苦笑し、
本来の任務に戻るべく編隊を整えました。
この行動のため、制空隊は攻撃隊の後塵を
拝することになりました。

 制空隊は、スロットルレバーを倒して、速度を
上げました。飛龍戦闘機隊二番機の村中一飛曹は、
青空と千切れ雲の間に黒点の集まりを見つけました。
目をそらせば見えなくなるような点でしたが、敵機と
直感しました。

 村中一飛曹は、一番機の重松大尉の前に飛び出し、
バンクして腹部に吊るされた予備燃料タンクを切り
離しました。全戦闘機は、予備燃料タンクを切り離し、
敵機の編隊に機種を向けました。

 白い糸を振りまきながら、予備燃料タンクが
海原に回転しつつ落ちていきました。敵編隊は
27機で、全て海兵隊の戦闘機でした。

(追記)
 敵機を見つけたからという理由で、全部の
戦闘機が離れてしまうというのは、問題の
行動だといえます。このような方法をとって
いたら、敵が、多数の方向から攻撃してきたら、
護衛している攻撃隊は丸裸となってしまいます。

 直掩隊は、敵が来た時も、攻撃隊の護衛を
任務として、敵機の撃墜は二の字とすべきです。
攻撃隊から離れず、敵機が攻撃隊に近づかない
ように牽制する役割を果たす必要があるといえます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 ミッドウェー島に近づく [山口多聞]

 友永大尉は、艦上攻撃機の名手であり、
飛龍の着任したのは、2ヶ月前の4月でした。

 彼の周りには、真珠湾攻撃に参加した
歴戦の勇者がいました。友永大尉は、最初
指揮官を命じられた時は躊躇しましたが、
直ぐに男の本懐とわきまえ引き受けています。

 艦上爆撃隊と戦闘機体の指揮官は、どちらも
真珠湾攻撃に参加した搭乗員でした。


 ミッドウェー島は、サンド島と、イースタン島、
スピット島、環礁からなる島で、飛行場は
イースタン島にありました。連合艦隊司令部は、
ミッドウェー島の守備隊は750人ほどであると
考えていました。

 さらに、航空機は、哨戒機が24機、戦闘機が
20機、陸軍爆撃機が12機ほどと判断しており、
対する日本軍の攻撃隊は108機なので、地上
施設に壊滅的な打撃を与えることができると
考えていました。

 友永大尉は、太平洋での攻撃は初参加ですが、
大陸では数々の武勲を挙げており、爆撃には自信が
ありました。さらに、真珠湾に参加できなかったことを
無念に思っており、「うまくいく」と、自分に言い聞かせて
いました。

 友永機には、自分の教え子の偵察員が搭乗して
いました。優秀な教え子だと考えており、頼もしいと
思っていました。

 攻撃隊は、ミッドウェー手前56kmまで
到達しました。島影がかすかに俯瞰でき
ました。ここにきて、友永大尉は、敵機が
目の前に現れた時、露払いしてくれる
制空隊がいないことに一抹の不安が
ありました。

 制空隊がいないのには訳がありました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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