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山口多聞 割り切れない思い [山口多聞]

 山口少将は、今回の作戦に対して、
アメリカ側はどのように考えているかを
思い巡らしました。

 アメリカ軍にとって、後がないので、
死に物狂いで挑んでくることになるだろう
と予想していました。

 そして、情報収集に全力を挙げている
だろうと予測しました。戦国時代を例に
するまでもなく、歴史を変えるような
大勝利の裏には、情報を制している
という事実がありました。
桶狭間の戦いも同様といます。

 山本長官のいる主力部隊は、後方550km、
警戒部隊は、さらに後方930kmのところに
いました。これでは、機動部隊が単独で
行動しているのと変わりありませんでした。

 機動部隊に万一のことがあっても、主力部隊が
助けに来るのは10時間後ということになり、助けの
意味がないと考えられました。

 実際、敵空母と決戦をしようにも、巡洋艦並の
速さが出せる空母に、戦艦が追いつくはずが
ありませんでした。しかも、大和ですら主砲は
41kmしか届かないのに、敵の航空機は
数百km先から攻撃隊を出すことができました。

 山口少将は、今の攻略部隊は機動部隊を
頭にした蛇のようなものであり、頭を
割られたら、胴体(主力部隊)や尻尾
(攻略部隊)は、役に立たないと
感じました。

 山口少将は、割り切れない思いで、海原を
見やりました。

 6月4日、補給部隊が別れました。
「ご成功を祈る。」という発光信号が
点滅しました。

 ハワイ作戦の時は、悲壮な思いで、
再会できた時は、感激しましたが、
今回は、別離になりそうだと感じて
いました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 作戦に投入された艦船 [山口多聞]

 山口少将は、たるんでいることに対して、
余裕と油断は背中合わせであると、認識
していました。

 真珠湾の時は、単冠湾で皆が感涙し、
抱き合って悲壮感を抱いて出撃していた
ことを思い出しました。たった半年前の話
ですが、あの時の気魄や戦意は、陰も形も
ありませんでした。

 この作戦に参加している艦艇は、空母の
護衛に、重巡洋艦の利根と筑摩、戦艦の
榛名と霧島がいました。その他に、陽炎型と
夕雲型の駆逐艦が12隻参加して、潜水艦の
来襲に備えていました。

 後方には、攻略部隊が控えており、空母瑞鳳、
戦艦金剛と比叡が控えていました。さらに主力
艦隊として、山本長官が乗る大和が初陣を
果たしていました。

 他にも、長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、
山城の各戦艦が出撃していました。山本長官は、
日本海海戦以来の出撃でした。

 アリューシャン方面の艦隊も合わせると、
艦船350隻、航空機1000機、将兵
10万人が参加しており、史上最大の
作戦といえました。

 あまりの大規模な作戦なので、出撃前から
巷のうわさになっており、乗員にいたっては、
物見遊山かピクニック気分の表情の者も
いました。

 もちろん、浮かれていれば上司から
殴られますが、引き締めた口元には
笑みがこぼれていました。山口少将は、
よくないという印象を抱いていました。

 真珠湾攻撃の時は、周到な準備の上、
猛訓練を課して隠密行動に徹していました。
今回は、観艦式のように、これ見よがしに
行動していました。

 山口少将は、真珠湾の時に、桶狭間と
ひよどり越えのような奇策をやらなければ
アメリカには勝てないと主張していましたが、
今は、今川義元のような大名行列になっており、
逆転負けをしそうな感覚を持っていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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