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山口多聞 大きな罠 [山口多聞]

 アメリカ軍は、潜水艦を日本近海に
派遣して連合艦隊の動向を探っており、
艦隊の規模や日時をほぼ正確につき
とめていました。

 5月28日、新指揮官のレイモンド・A・
スプルーアンス少将が指揮する機動部隊が
ハワイを出撃しました。

 日本軍が出撃する前日であり、日本側が
ハワイとミッドウェーの間に潜水艦を派遣して、
アメリカの機動部隊の監視をさせる前に通り
過ぎており、索敵行動そのもの大失態と
なっていました。

 スプルーアンス少将が率いる機動部隊は、
エンタープライズとホーネットの2隻であり、
これに、珊瑚海海戦で指揮したフレチャー
少将率いるヨークタウン中核の機動部隊が
2日後に出撃しています。

 南雲機動部隊は、クモの巣やアリ地獄に
引っかかる昆虫のように、アメリカがしかけた
巨大な罠に向かっていました。


 6月2日、濃霧に包まれました。南雲
機動部隊は索敵行動を控えました。
アメリカ軍は索敵機を飛ばしていましたが、
濃霧のため、南雲機動部隊の頭上を
素通りしてしまいました。

 南雲機動部隊は、6月3日に、ミッドウェー
北西約1000kmの地点に到達しました。
この日も濃霧で、艦隊の陰さえ捕捉できない
状態でした。発光信号もろくに見えません
でした。

 計画通り、6月5日の黎明に奇襲攻撃を
するには、正午までに、135度の方向に
変針する必要がありました。赤城の艦橋では、
電報を発信するかどうかで、意見を
戦わせていました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 南雲機動部隊を迎え撃つ [山口多聞]

 ニミッツ大将は、日本軍のミッドウェー
攻略作戦を読み取り、ミッドウェーを
囮として利用する作戦を考えました。

 まず、ミッドウェー島に、高角砲大隊を
差し向けて防備を固めました。さらに、
海兵隊の急降下爆撃機16機と、戦闘機
7機、爆撃機18機、哨戒艇30隻を配備
しました。

 守備隊2140人、補給部隊1500人が
駐屯する大所帯となりました。この数字は、
日本軍の見積もっていた守備能力を
大きく上回っていました。

 ニミッツ大将は、それでも、真珠湾を
奇襲し、世界に勇名を馳せた南雲
機動部隊に勝てるという保証は
持てませんでした。

 そこで、珊瑚海海戦で瀕死の状態となった
ヨークタウンの修理を3日で終わらせるように
命じました。

 通常1ヶ月かかる大修理を3日で行えと
命じられた関係者は、最初は無理と判断
しましたが、突貫工事と人海戦術で対応
しました。

 アメリカ軍は、南雲機動部隊を迎え撃つため、
動員できるものは全て動員する覚悟で艦艇を
集めています。

 この時点で、慢心しきって、ろくに作戦も
立てずに大決戦を仕掛けている日本軍とは
大きな違いがあるといえます。

(追記)
 ヨークタウンの修理が可能だったのは、
真珠湾攻撃で反復攻撃を行わなかったため、
そっくり残ってしまったドック修理施設を
利用できたからでした。

 真珠湾攻撃は、大した戦果もない大失敗の
作戦であり、そのことをキチンと検証せず、
大成功と勘違いして慢心していたことが、
同様の作戦であるミッドウェー海戦の
大敗北につながっているといえます。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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