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源田実参謀 大西少将からの呼び出し [源田実航空作戦参謀]

 著書は、1941年2月中旬、源田参謀が、
有明湾に停泊中の空母加賀で、司令官の
戸塚道太郎少将を補佐し、空母部隊の
戦力向上を図っている時から始まります。

 源田参謀は、158cmの痩身の小男で
この時36歳でしたが、気位が高い鷹の
ような風貌の戦闘機乗りで、海軍大学
甲種学生を、恩賜(天皇下賜の長剣を
授与される)の成績で卒業しており、
奇才に満ちていました。

 源田参謀のところに、第11航空艦隊
参謀長の大西瀧治郎少将から、「相談
したいことがあるので、鹿屋基地に
来られたい。」といういわくありげの
手紙が届きました。

 第11航空隊は、航空機を500機有する
大基地航空部隊で、司令部は、鹿屋海軍
航空基地にありました。大西少将は、
山本五十六司令長官と気脈を通じており、
「航空主兵・戦艦無用論」を鼓吹して
いました。

 源田参謀もこの意見に共鳴しており、
大西少将を海軍航空界随一の実力者として
頼りにしていました。

 源田参謀が、鹿屋基地に赴くと、大西少将から、
一通の封書を手渡されました。表には、大西少将
閣下とかかれており、裏には、差出人として
山本五十六と書かれていました。

 中には、いい墨筆で書かれた3枚の手紙が
入っていました。そこには、「国際情勢の
推移如何によっては、日米開戦のやむなきに
至るかもしれない。

 日米が、干戈を取って戦う場合、我が方は、
何か思い切った戦法を取らなければ、勝ちを
制することはできない。」と始まっていました。

 そして、この後に書かれていたことに、
源田参謀は、衝撃を受けました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 経歴 [源田実航空作戦参謀]

 今回から、源田実航空作戦参謀について、
著名:航空作戦参謀 源田実
著者 生出 寿(おいで ひさし)
出版 光人社NF文庫
を元に、紹介をしていきます。

 前回、山口少将が、ミッドウェー海戦で、
赤城の司令部に対して、怒りすら感じていた
ということを紹介していますが、この時、
赤城の司令部におり、航空隊の作戦を
担っていたのが今回紹介する
源田実(げんたみのる)参謀です。

 源田参謀は、日本海軍が行った真珠湾
攻撃からマリアナ沖海戦までの、主要な
航空作戦の参謀として活躍した人であり、
日本海軍の航空戦という意味では、
はずすことができない人です。

 しかしながら、ミッドウェー海戦の作戦を
見ると、有能な人物とは思えないという
印象を抱きます。しかし、赤城の司令部
からの見方も紹介しないと、偏ると
感じましたので、紹介していきます。

 まず、Wikipediaから、経歴を抜粋してみます。
1904年 広島県に生れる
1921年 海軍兵学校52期入学
1924年 海軍兵学校17位で卒業
1928年 霞ヶ浦海軍航空隊に入隊
1934年 海軍戦闘機の基本パターン形成を行う。
      この頃には、航空主兵論を唱えて、大艦巨砲主義を批判。
      日本各地で編隊アクロバット飛行を行い、源田サーカスの名で親しまれる
      大西瀧治郎と同勤。「正しいことを正しいと認める事が大切であって、
      何が国のためになるかで考え、無節操と罵られようとも意に介すな。」という
      言葉を受け、人生においてこれほど胸を打った言葉はないとしています。
1941~1945 太平洋戦争
1953年 航空自衛隊に入隊。ジェット機の開発や、ブルーインパルスの構想を打ち出すといった
      活躍をする。最終階級は空将。
1989年 没


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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