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源田実参謀 ニイタカヤマノボレ1208 [源田実航空作戦参謀]

 12月2日午前8時、連合艦隊全艦宛に、
「ニイタカヤマノボレ1208」という
伝令が届きました。草鹿参謀長は、
「青天に白日を望むようだ」と、
気持ちがふっきれたように、
晴々としました。

 12月3日午前4時、南西より35m
という暴風雨の中、機動部隊は予定通り、
針路90度(東)から、145度(南南東)
に大変針しました。

 向かう先は、真珠湾の北北東600海里の
海域でした。源田参謀は、長官室のそばに
ある赤城神社に詣でました。

 12月5日、濃霧で視界不良でしたが、海上は
平穏となり、八戦隊と一水戦が、燃料を補給
しました。源田参謀は、この日も赤城神社に
詣で、「私の命はどうなってもかまいません。
どう過去の作戦を成功させてください。」と
祈りました。

 12月7日、日曜日、海上は平穏でした。機動
部隊は粛々と決戦場に接近していました。
吉岡参謀は、「内心はおっかなびっくりで、
へっぴり腰でした。」と回想しています。

 一水戦に対する最後の燃料補給が行われ、
補給隊の特務艦と、駆逐艦霞は、機動部隊に
別れを告げ、「成功を祈る。」の旗旒(きりゅう)を
掲げながら、静かに去っていきました。

 敵の飛行機の哨戒圏に達した午前7時、
旗艦赤城は、「皇国の荒廃この一戦にあり。
各員一層奮励努力せよ。」という信文のDG旗を
マストに掲げました。

 機動部隊全員は、気合をこめて戦闘配置に
つき、12月8日の午前1時に目標海域に
到達すべく、22ノットで、戦場に南下して
いきました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 不安 [源田実航空作戦参謀]

 南雲機動部隊が出撃した11月26日に、
日米交渉のアメリカ側からの最終回答が
ハル国務長官から大使に手渡されました。

 日本の要求は、一切委細認めないという
挑発的なものでした。アメリカも匙を
投げて対日戦を決定しました。

 11月29日、翔鶴と瑞鶴、警戒隊の
第一水雷戦隊が燃料補給を受けました。
12月1日に、航程の約半分に達し、
東経から西経に入りました。

 この頃に、二航戦と八戦隊、一水戦が
燃料を補給しました。

 赤城の艦橋で、南雲長官が草鹿参謀長に
弱音を洩らしました。「参謀長、エライことを
引き受けてしまった。もう少し機を強くして、
きっぱり断ればよかったと思うが、うまく
いくかしら。」というものでした。

 この時は、普段は強気一点張りの源田参謀も、
「アメリカに待ち構えられて、虎の子の
母艦6隻を失うようなことになれば、
戦争は終わりだ。」と不安に駆られて
いました。

 一方で、「道は前進あるのみ。断じて行えば、
鬼神もこれを避くはずだ。」と迷っていました。

 曇り時々雨の12月2日、かなりの風波はあるが、
予定通り、一航戦らが燃料補給を行いました。
これで、今後燃料補給しなくても作戦は
できる事になりました。

(追記)
 ハル長官から手渡された文書はハルノートと
呼ばれ、日本が開戦する理由とされています。
ハルノートはソ連のスパイが、日米を戦争に
導くためにわざとこのような文章にしたという
話もあります。

 しかし、日本にとっては、受け入れても
実害がない内容でした。拒絶するにしても
ハルノートを全世界に公開して、アメリカを
無視すればいいだけの話で、真珠湾攻撃は
つくづく無駄な攻撃になったと感じます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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