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源田実参謀 空母集中配備論のきかっけ [源田実航空作戦参謀]

 1940年10月に駐英日本大使館付
武官補佐官の勤務から帰国し、第一航空隊
参謀に予定されていた源田参謀(当時少佐)は、
1期先輩の飛行将校の平本中佐から、
母艦群の統一指揮が重要な研究項目に
なると言われました。

 源田参謀はどうすればいいかと考えていた時、
アメリカのニュース映画で、空母4隻が単縦陣で
航行する場面を見て、空母を戦艦と同様に扱う
アメリカ軍を、変わったことをやると思いました。

 この当時、日本で空母数隻を単縦陣で
航海させることはありませんでした。しかし、
数日後、空母を集中運要すればいい事に
気付き、数日かけて検討しました。そして、
これが可能だという結論を得ました。

 構想は、「4隻の空母(赤城、加賀、蒼龍、
飛龍)を集中配備し、攻撃隊につける戦闘機を
半数つけても、4隻で36機を母艦護衛に
当たらせることができる。さらに2隻加われば、
54機にする事ができる。

 対空砲火も、巡洋艦と駆逐艦の火器で、
100~200門の高角砲と300門以上の
機銃で、防御火網を構成できる。」
というものでした。

 この後、源田参謀は、第一航空隊の航空
参謀となってハワイ奇襲作戦に没頭する
ようになり、空募集中配備という思想を
ますます強めていきました。

(追記)
 上記の構想は、空母同士が、お互いに
目視出来る範囲にいることで、空中集合を
しやすくするというものです。

 機動部隊として運用して攻撃隊を出すには
必要なことですが、一方で、敵も同じことを
してきて、攻撃を受けたらどうするのかという
点が欠落しています。

 最初に敵空母と戦ったセイロン島沖海戦や、
世界最初の機動部隊同士の海戦といわれる
珊瑚海海戦の教訓を引き出して修正を加える
ことなく、杜撰な計画で始めた、ミッドウェー
海戦で欠陥を露呈した構想といえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 空母集中配備論 [源田実航空作戦参謀]

 吉岡少佐は、航空甲参謀の源田参謀の
補佐する乙参謀として爆撃や雷撃関係の
問題を担当することになりました。

 吉岡少佐は、大尉に昇進した時、横須賀
海軍航空隊で、海軍大学校甲種学生になった
ばかりの源田参謀と知り合いました。そして、
航空主兵・戦艦無用論に共鳴し、同志の
間柄となりました。

 源田参謀の意表をつく用兵思想の中で、
吉岡少佐が感心したのは、空母集中配備論
でした。航空戦では、大編隊群の同時共同
攻撃を行わなければならないというのが、
世界通理論でした。

 水平爆撃機が、3000~4000mから、
800kg爆弾を投下し、急降下爆撃隊が、
3000m以下の高度から急降下し、
500m付近で250kg爆弾を投下する。
これに策応して雷撃隊が838kg魚雷を発射する。

 援護戦闘機隊が敵戦闘機を撃破し、敵艦の
艦橋や甲板に、機銃掃射の目潰しを加える
というのが、攻撃の手順でした。ここで問題と
なるのは、数隻の空母から発艦した100機以上の
飛行機隊をどうやって洋上の一点に集中させるか
でした。

 この問題に対して、源田参謀が出したのが、
空母集中配備という危険に満ちた方法でした。

(追記)
 空母は脆弱なので、攻撃を受けたときに
被害を減らすには分散配備すべきというのが、
この時の常識でした。そのためには、空母間を
185kmは離す必要がありました。電波誘導
などは敵に察知されるのでできない方法でした。

 だからこそ、上記のように空母の集中運用が
言われたわけですが、御存知の通り、ミッドウェー
海戦で、一気に空母4隻を失ったのは、これが
原因です。集中運用時の空母の防御方法も、
検討すべきだったといえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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