SSブログ

源田実参謀 ハワイ攻撃開始 [源田実航空作戦参謀]

 大抵の者が不安に駆られた状態のまま、
真珠湾に近づくと、源田参謀は、
突然、南雲長官に、
「350kmまで近づきます。」
と断定的に告げました。

 南雲長官は即座に賛成し、草鹿参謀長と
吉岡参謀も、源田参謀の気合に打たれた
ように賛成しました。飛行機隊にとっては、
距離が短いほうが攻撃しやすいからこその
進言でした。

 搭乗員室に下りた源田参謀は、淵田中佐に
「頼むぜ。」と声をかけました。淵田中佐は、
「ちょっと行ってくるよ。」と軽々と
応じました。

 12月8日午前1時(現地では12月7日
午前5時30分)、利根と筑摩の零式水上
偵察機各一機がカタパルトから射出され、
事前偵察に向かいました。ハワイ攻撃
開始でした。

 午前1時20分、東の空が白むころ、
飛行隊を発艦させるために、機動部隊は
一斉に風上に向かいました。旗艦赤城の
マストに信号旗があがり、次の瞬間さっと
下ろされました。

 6隻の空母の各艦長に、発艦が下命され、
飛行長は満を持して各機に発艦を命じました。
この時、南南東の13mの風が吹いており、
雲も多い上に、うねりも大きく、各空母の
揺れが大きくなりました。発艦は難しいと
思われました。

 しかし、このような中でも軽快に舞い上がる
零戦を先頭に、1機、1機轟音を残して
飛び立ちました。見送る艦の乗員は、
全員力いっぱい帽子を振りました。

 魚雷を積んだ艦上攻撃機は、大きなうねりで
揺れる母艦から、渾身の力を振り絞るような
ものすごい轟音を残して飛び立ちました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

源田実参謀 ハワイ攻撃前夜 [源田実航空作戦参謀]

 12月7日、源田参謀は朝夕赤城神社に
詣で、「私を殺して、この作戦を成功させて
ください。お願いします。」と必死で
祈りました。

 軍令部からの情報と、潜水艦隊、敵情偵察
報告、敵信傍受、ホノルルのラジオ放送など
から、敵情を次のように判断していました。

 「真珠湾に在泊している艦は、戦艦9隻、
軽巡洋艦3隻、駆逐艦19隻、水上機母艦
3隻。空母と重巡洋艦は出撃中。ラハイナ
泊地は艦隊不在。」

 機動部隊は、真珠湾のアメリカ艦隊を
攻撃することを決定し、断雲の去来する
月明下を、ひた走りに南下しました。

 午後6時~8時まで寝ていた源田参謀が
外に出ると、飛行甲板には、すでに攻撃隊が
整然と並べられていました。

 暗闇の中で、エンジンの試運転を行って
いる第一攻撃隊の轟音が響き、排気管から
青白い炎が噴き出ていました。

 源田参謀は、階段を登り艦橋に立つと、
不思議にも心中の不安や妄念がきれいに
消え、清清しい気持ちになっていました。
作戦成功の欲も、失敗の危惧もありません
でした。

 のちに、源田参謀は、「明鏡止水、無我の
境地に入っていた。あの時の心境をその後、
再現しようと努力したが、恥ずかしながら
二度とできなかった。」と述懐しています。

(追記)
 真珠湾攻撃の成功とは、どのような状態
なのだろうかと考えることがあります。
戦術的な戦果のみ検討すると、ハワイ攻撃後、
アメリカ軍の行動に制限がかかったか
という点が重要になります。

 そう考えると、ミッドウェー海戦までの
半年間くらいしか効果がなかったことに
なります。これは、空母と艦隊の修理工廠や、
燃料を残したことで生じています。

 その意味では、戦略的にも戦術的にも
検討が不足している作戦といえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。