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源田実参謀 北方航路 [源田実航空作戦参謀]

 ハワイ攻撃の機密保持も重要な課題でした。
ハワイまで敵に発見されずに行くにはどうするか
ということでした。ハワイ作戦図上演習で、北緯
40度は、ハワイの哨戒圏外で、大圏航路
(最短航路)からも外れていました。

 しかも、海上模様が悪く、商船航路でもありません
でした。ここは、太平洋高気圧と、局地高気圧が
ぶつかる海域で、天候不良の日が多く、天測や
燃料洋上補給を実施できる見込みもありません
でした。

 燃料補給の成功率は60%と言われ、南雲長官らは
悩みましたが、10月10日に加賀への燃料補給実験が
成功すると、南雲長官も北方航路を決意しました。

(追記)
 戦後大分経ってから、源田参謀は、南雲長官が
北方航路を決定したのは自分の説得によるものだと
公言しています。

 9月の図上演習時、海の時化があり、反対していた
南雲長官を、源義経が、鵯超えを行ったのは、鹿が
通れるなら馬も通れるとして、行った故事を引き合いに、
努力によって切り開く必要があると説得したとしています。

 この進言後、加賀の洋上補給が成功し、これに、
佐々木参謀と山口少将が賛成してくれたので
南雲長官も、北方航路の決意を固めたと
しています。

 しかし、上記は事実と大分違うといえます。
図上演習の時、南雲長官は、ハワイ攻撃自体に
反対しており、北方航路など些事といえます。

 南雲長官がハワイ攻撃を賛成したのは、大西、
草鹿両参謀が山本長官に諭された10月3日
以降です。

 洋上補給の実験が成功したのは10月10日で
あり、9月に行われた図上演習後の源田参謀の
説得が影響したとは考えられないというのが、
生出氏の意見であり、私も同意見です。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 洋上補給 [源田実航空作戦参謀]

 ハワイ攻撃をする上で、これができなければ
絶望というのが、燃料の洋上補給でした。
そこで、10月2日から、有明湾で、その
実験研究にかかりました。

 10,052tの給油船が曳航索で、42,541tの
加賀を曳航し、給油ホースをつなぎ、重油を
流しこもうというものでした。この方法は、
駆逐艦ではやったことがありましたが、
戦艦や空母のような大型艦でしたことは
ありませんでした。

 山本長官は、駆逐艦にできるなら戦艦や
空母もできるだろうとして問題にしていません
でした。しかし、実際にやってみると、曳航索が
軋んで切れ、給油ホースが切れて吹き飛んで
しまいました。

 3日~5日まで何度となくやり直しましたが、
何回やってもうまくいきませんでした。ついに
9日まで行いましたが失敗続きでした。10日に
なり、士官室で昼食を取っていた草鹿参謀が、
アイデアを思いつきました。

 それは、「給油船が曳航するのではなく、加賀が
給油船を曳航して給油したらどうか。」というもの
でした。南雲長官も賛成し、早速試してみました。
加賀の後ろから給油をすることになりましたが、
これが正解でした。

 重油が加賀のタンクにとどこおりなく流れ込んで
いくのを確認し、この後、赤城、蒼龍、飛龍、比叡、
霧島への洋上補給も試し、無事に成功しました。
これで、一つの障害が解消されました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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