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源田実参謀 対英米に踏み込む [源田実航空作戦参謀]

 7月18日、日米関係を打開するために、
第三次近衛内閣が成立しましたが、
方針が定まらないうちに、南仏進駐の
期限がきてしまい、現地陸海軍部隊に
対して、7月23日に進駐の大命が
下りました。

 これを侵略と断定したアメリカは、
7月26日に制裁措置として在米日本資金の
凍結を発令しました。

 日本軍は、7月28日に、南仏進駐を
開始すると、アメリカは、石油禁輸を発令
しました。アメリカは、対日戦の意志を
明示しました。

 日本は、手持ちの石油で、アメリカと戦い、
その間に蘭印などの資源地域を占領して
石油を運ぶか、アメリカの要求を大幅に
のむか、いずれかを選ぶ必要が出て
きました。

 しかしながら、南部仏印進駐をすれば、
対英米戦は必須となることは、分かり
きっていたことであり、上記二つの選択で
あれば、必然に決まってしまいました。

 日本は、対英米戦よりもドイツとの協調と、
燃料確保のために、対英米戦に踏み込む
ことになります。

 開戦の他ないような情勢になった1941年
8月7日、連合艦隊先任参謀の黒島亀人
大佐は、軍令部の対米英蘭作戦計画の
内示を要求しました。

(追記)
 冷静に判断すれば、後に出されるハルノートを
含めて、アメリカの要求をのんでも、日本には
大きな不利益はなく、のんだほうがよかったと
なります。

 しかし、仮に要求をのめないとしても、
アメリカと戦争する理由にはなりません。
アメリカと国交断絶になっても、
「国交断絶=戦争」
ではない以上、アメリカを無視して、南仏や
インド洋を制圧して資源確保すべきと
いえます。

 全く不必要なアメリカとの戦争を煽ったのは
誰なのかは、明確にしていく必要があると
いえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 国際情勢の複雑化 [源田実航空作戦参謀]

 貴公子といわれた近衛文麿首相は、
1937年7月から続く支那事変と、
1940年9月に締結された日独伊
三国同盟条約から発生した日米間の
政治摩擦を、何とか解消しようと
苦心していました。

 1941年2月には、ルーズベルト大統領と
親しい野村吉三郎予備海軍大将を、駐米大使
としてワシントンに派遣しましたが、交渉は
思うように進展しませんでした。

 アメリカは、日本軍が侵略している、北部
仏印(フランス流インドシナ、ベトナム地域)と、
中国からの全面撤退と、日独伊三国同盟
条約の死文化を要求していましたが、
日本側は、態度が曖昧だったためでした。

 1941年6月に入り、政治情勢は激変
しました。松岡洋右外相と、ソ連のモロトフ
首相らが交渉し、日ソ中立条約が4月13日に
モスクワで調印され、北辺は安泰になったと
思われました。

 ところが、ヒトラー総統が率いるドイツが、
6月22日、独ソ不可侵条約を一方的に破り、
ドイツ大軍が、ソ連に侵入して、独ソ戦を
引き起こしました。これで、国際情勢は、
かえって複雑になりました。

 ドイツの快進撃が続くと、ソ連は、遠からず
ドイツに屈服すると早合点の希望艦側をする
日本人が急増してきました。一方で、米英と
協調するオランダは、ドイツと同盟を結んで
いる日本には石油は売れないと拒絶して
きました。

(追記)
 日独伊三国同盟は、役立ったとはいえず、
日本自体が有効活用しようという意図も
見られなかった同盟といえます。

 この辺りからして、戦略眼が不足していると
感じます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 第一航空艦隊編成 [源田実航空作戦参謀]

 山本長官に却下された大西少将は、一旦
引き下がり、航空魚雷の専門家たちに意見を
ただし、深度12m以内の雷撃が可能か確認し、
不可能ではないという回答を得ています。

 そこで、戦艦には、水平爆撃の他に、雷撃も
併用する案に改め、山本長官を再び訪れました。
この案を見た山本長官は、大西少将に、直ぐに
軍令部に提出することを命じ、同時に、腹心の
黒島参謀と渡辺参謀に構想を打ち明けました。

 2人は、山本長官に忠誠を誓うように、
「計画を進めるべきだ。」と賛意を示して
います。一方、軍令部を訪れた大西少将は、
同期の軍令部第一部長福留少将に、自分が
書いた作戦案を手渡し、山本長官の意向を
説明しました。

 山本長官は、連合艦隊司令部直属に、
大西少将が参謀を務める第11航空艦隊と、
空母部隊の第一航空艦隊を発足させました。

 第一航空艦隊は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、
龍驤の5空母が編成されていました。第一航空
艦隊の、第一航空戦隊を率いるのが南雲長官、
第二航空戦隊を率いるのが前回紹介した
大西少将の同期の山口少将、龍驤が
編成された第四航空戦隊を率いるのは、
猛将と言われた角田覚治少将でした。

 2つの航空艦隊が編成されて、対英米戦に
実力発揮が期待される連合艦隊の極めて
強力な航空二本柱が出来上がりました。

 これは、ただ大博打を自分が指揮したい
だけという山本長官の危険な気持ちが
強まっただけともいえました。

 そして、最も重要な第一航空隊戦隊の
参謀に、山本長官と大西少将の二人の
推薦で、源田参謀(この当時中佐)が、
航空参謀につきました。

 源田参謀は、自分が立案した計画で、
アメリカ艦隊を真珠湾に撃滅し、世界に
名を上げたいと、血を沸かせました。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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