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源田実参謀 画期的な航空隊編成 [源田実航空作戦参謀]

 浅沈度魚雷は、16年2月に開発が
命じられ、11月30日までに100本
完備せよというものでした。第1回目の
実験は、8月22日で、この時の沈度は
19.5mでした。

 しかし、第二回目は、8月26日に行い、
沈度9.5mを記録し、この後9月15日まで、
4回実験し、全て沈度10m以内に収めました。
第二回目以降は、100%の成功率を
達成しました。

 この時の航空機の飛行高さは20mで、
沈度が10m以内となるように実験を
繰り返していました。

 10月半ば、源田参謀は、第一航空艦隊の
艦上攻撃隊がいる鹿児島基地に赴きました。
士官室に入ると、淵田少佐(この直ぐ後に
中佐に昇進)と、村田少佐が入ってきました。

 淵田少佐が、艦上攻撃機9機を10隊作る
より、艦上攻撃機4機を雷撃、5機を爆弾とし、
40機の雷撃隊と、50機の爆撃隊にする
という案を出してきました。

 源田参謀は、この案に唸り、名案だと
賛成しました。そして、その編隊で訓練を
続けるように指示しました。源田参謀は、
ハワイ空襲の望みが出てきたと元気づき
ました。

(追記)
 この当時、航空機3機で小隊と編成し、
小隊3つ9機で中隊とし、中隊3つで飛行隊と
していました。これは、日本だけでなく、列国も
この形式を基本としており、世界的な常識の
ようになっていました。

 上記の淵田少佐の案は、世界的な常識を
破り、90機の編隊でありながら、攻撃力を
増強した画期的な編成でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 浅沈度魚雷 [源田実航空作戦参謀]

 旗艦加賀の長官室に第一航空艦隊の
ベテラン飛行長が集まり、ハワイ攻撃を
打ち明けられたのは、洋上補給の実験中の
10月7日でした。ベテラン搭乗員たちも、
打ち明けられて緊張しました。

 南雲長官が、簡単な話をした後、草鹿
参謀長が、テーブル上の、オアフ島と
真珠湾の二つの模型を指しながら、
一同に説明しました。

 そして、最後に、「この作戦が成功するか
否かは、一にかかって雷撃が可能かどうかに
ある。山本長官もその点を非常に心配されて
いる。今から攻撃案の素案を説明させるが、
雷撃の能否について、見当をつけて
もらいたい。」と述べています。

 颯爽と源田参謀が出てきて、二つの模型を
土台にして、配備や地形などを歯切れよく
説明し、第一航空艦隊の攻撃計画の大要を
自信満々に説明しました。

 その後、飛行長は、それぞれ、雷撃、
水平爆撃、急降下爆撃、戦闘機のグループに
分かれ、攻撃の能否と研究に入りました。
最大の焦点は、地形的に困難な雷撃の
能否でした。

 源田参謀は、雷撃の最高権威である、村田少佐に
可能かどうか問いただしました。村田少佐の返答は、
「なんとかいきそうですな。」というものでした。
他の飛行長も、同意見でした。

 艦上攻撃機から、航空魚雷を深水12m以内に
走らせる事ができるかを、これから短期間の研究で
可能にしようという話でした。

 同じ頃、吉岡航空乙参謀は、魚雷の専門家と
一緒に、浅沈度魚雷の投下実験を繰り返して
いました。この時使用していたのは、
沈度10mで走らせられる安定機付
91式魚雷改二で、7月にできた
ばかりのものでした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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