SSブログ

源田実参謀 航空機整備計画 [源田実航空作戦参謀]

 図上演習で、南方作戦の航空兵力不足を
心痛した山本長官は、前年の秋に連合艦隊が、
軍令部と海軍省に要求していた零戦と陸上
攻撃機各1000機の整備対策の進捗を確認し、
なんら講じてないという回答に憤慨しました。

 9月29日に、山本長官は、海軍省の及川
古志郎海相を訪ね、要旨を次のように述べました。
「戦闘機1000機と陸上攻撃機1000機を、
必要とすることは、かねて所信を述べた通りで
ある。

 現状、予備も含めて700機ぐらいしかなく、
南方作戦にでは、650機が消耗する見込みで
ある。充分な補給がなければ、作戦は、継続
できない。しかし、現状の兵力で戦えと言われる
なら、初期戦闘に限り相当有利な戦をやれる
だろう。」というものでした。

 しかし、山本長官がいくら力説しても、
当時の日本の航空機生産能力や、陸海軍の
割り当て協定などから、増強することは
不可能というのが実態でした。

(追記)
 小沢治三郎中将の先任参謀を務めた大前敏一
大佐が、戦後にまとめた、「旧日本海軍の兵術的
変遷と、これに伴う軍備並びに作戦」という資料が
あります。これに、1941年頃の時点での、日米の
年を追うごとの戦力差を示しています。

 これには、艦船は、日本海軍は、1年で建造
できるのは13万t~20万tに対して、米国はその
3~5倍。計画段階においても、日本は32万tに
対して190万tでした。これを勘案すると、
1943年でアメリカの5割、1944年で3割に
減少する。

 航空機も、生産能力を考えると、10倍以上の
差になるとしています。

 この資料をそのまま読めば、1944年
(マリアナ沖海戦や、レイテ沖海戦の頃)には、
艦船で30%、航空機で10%ほどとなって
しまい、大艦巨砲主義でも、航空主兵主義でも
勝ち目はないとなります。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

源田実参謀 意見の一致を見ない [源田実航空作戦参謀]

 奇襲作戦の採択について討議について、
最終決定権を持つ軍令部は、確信を持つ
ことができず、決断できませんでした。

 源田参謀は、戦後の回想でこの当時の
ことを、「連合艦隊は積極的なのに、
第一航空艦隊は消極的か、むしろ反対
しており、軍令部は極めて慎重で、
意見の一致を見なかった。

 黒島参謀が、「軍議は戦わずですよ。」と
言われたのが印象的でした。」としています。

 しかし、この会議に参加していた宇垣参謀長は、
討議後に、軍令部の福留部長に、「山本長官は、
職を賭してもハワイ攻撃を決行する決意だ。」と
言っており、軍令部は、山本長官の固い決意を
知っています。

 福留部長は、4月まで、山本長官の下で、
連合艦隊の参謀長を務めており、福留部長の
上司に当たる伊藤整一軍令部次長も8月まで、
連合艦隊参謀長でした。2人とも山本長官の
腹心と言えそうな人でした。

 そのためもあり、軍令部から瀬戸内海の
桂島に係留されている長門に戻ってきた
宇垣、黒島らの参謀に対して、山本長官は、
とんでもない爆弾を落としました。

 「ハワイ攻撃をしないで、南方作戦ができると
思っているのか。誰が会議をやってくれと頼んだか。
戦は自分がやる。会議などやってもらわなくて
よろしい。」と言い放っています。

(追記)
 山本長官の発言は、暴言と言えるような
とんでもないものです。ハワイ攻撃は全くの
無駄な攻撃であり、当然行わなくても南方
作戦は可能です。

 軍令部は、資源確保になる南方作戦を
重視しており、山本長官を辞職させても、
とめるべきだったといえます。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。