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源田実参謀 敵を欺く [源田実航空作戦参謀]

 11月18日朝、一航戦、二航戦はいつもと
変わらず佐伯湾を出港し、五航戦は、
19日の零時に別府湾を出港して、
北方の択捉島単冠湾に向かいました。
バラバラに出港したのは、敵を欺く
ためでした。

 佐世保で浅沈魚雷を受け取った加賀は、
17日に、佐世保を出港し、佐伯に寄ってから
単冠湾に向かいました。機動部隊の全艦は、
無線封に入りました。

 それに代わって、九州各地に点在する陸上
航空基地が、一航戦の呼び出しを使って、
偽の交信を始めました。上記の擬装は、
機動部隊がハワイ攻撃を行う12月8日まで
行われました。機動部隊がこの方面にいる
ようにカモフラージュしていました。

 新嘗祭の11月23日、空母6隻以下の
南雲機動部隊30隻は、単冠湾に威風堂々と
集結を完了しました。

 南雲長官は、この日の午前9時、各級
指揮官、幕僚、駆逐艦長を赤城に集めて
訓示し、機密機動部隊命令を下達しました。

 この夜、南雲機動部隊30隻の各艦では、
全員が上下相擁して泣きながら酒を酌み
交わし、壮途を祝いました。艦隊訓練の後に
飲む、底抜けに明るいものではなく、死地に
赴く直前の悲壮厳粛なものでした。

 赤城の艦内で行われた悲壮な酒宴を
見ていた源田参謀は、赤穂浪士が討ち
入り前夜、蕎麦屋の2階に集まった時も
このような雰囲気だったのだろうかと
思ったとしています。

 南雲機動部隊30隻の艦船が単冠湾を
出撃し、片道6500kmのハワイ攻撃の途に
ついたのは、11月26日の朝でした。
空は暗く、海は怒涛の逆まく荒海でした。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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源田実参謀 激励の訓辞 [源田実航空作戦参謀]

 11月3日(明治節)、南雲長官は、有明湾内の
赤城に、各指揮官、参謀を集め、ハワイ攻撃の
実行計画を説明し、4日から特別訓練を行うことを
伝えました。

 訓練開始直前、始めてハワイ攻撃を聞かされた
全飛行科仕官は、淡々と聞きながら、「くるものが
きた」と緊張しました。淵田中佐総指揮によって、
11月4日から、佐伯湾南方250海里に展開した
空母部隊から、攻撃隊が発艦しました。

 そして、佐伯湾にいる連合艦隊の戦艦部隊を
ハワイ敵艦隊と想定して、雷撃機の襲撃訓練を
見事に実施しました。

 村田少佐が指揮する雷撃隊は、苦心惨憺の
発射実験の末、11月10日に入り、ようやく
納得のゆく魚雷発射法をつかみました。

 村田少佐は、土田中佐と吉岡航空参謀らと共に、
なお研究を重ね、発射高度20m発射時の航空機
速度160kmとしました。

 出撃準備が完成した時、南雲機動部隊は、
浅沈度魚雷を受け取りに行った加賀などを除き、
佐伯湾に整然と集合しました。山本長官は、
赤城の飛行甲板で、激励の訓辞を行いました。

 源田参謀は、印象的な訓辞を行ったと語って
います。内容は、「アメリカは、わが国開闢以来の
強敵であり、これほどの物と戦ったことはない。
相手にとって毛頭不足はない。

 キンメル大将は、数クラスを飛び越えて、合衆国
艦隊の長官に任命された人物であり、きわめて
有能な指揮官であることを付け加えておく。
奇襲攻撃を計画しているが、相手の寝首をかく
ようなつもりであってはならない。特に注意しておく。」

 源田参謀は、はなはだ力強いものであったと
しています。


紹介書籍:航空作戦参謀 源田実
著者:生出 寿
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