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山口多聞 最後の言葉 [山口多聞]

 午後11時50分、山口少将は、艦橋から
降りてきました。後には、加来艦長や、
副長、主席参謀などの司令部要員が、
沈痛な顔で続きました。

 加来艦長は、駆逐艦から応急食糧として
運ばれたビスケットの箱の上に立ち、重たい
口を開きました。

 「諸君、最後までよく職を全うしてくれた。
深く礼を言う。諸君の必死の努力にもかか
わらず、見ての通り本艦は、力尽きた。

 陛下の艦を沈めなければならないのは、
遺憾の極みである。どうか、みんなでこの仇を
討って欲しい。諸君のこれからの奮闘を切に
祈る・・・。」というものでした。

 加来艦長は、かすれがちな涙声で告げ
ました。あたりからはすすり泣きが聞こえ
ました。山口少将は、多くを語る必要は
ないと思いました。

 箱の上に立ち、煤にまみれた乗員を見渡し
ました。中には負傷し、同胞に支えられている
者もいました。

 山口少将は、「諸君、最後まで良く戦って
くれた。心から感謝する。諸君のことは
忘れない。今生の別れに、皆とともに
宮城を遥拝して、万歳を三唱したい。」
といいました。

 山口少将の言葉で、うなだれていた乗員が
背筋を伸ばし、どの顔もくしゃくしゃになって
いました。「天皇陛下、万歳。」ほんの少しの
間があって、悲壮なまでの声が、腹の底から
絞り出されました。

 「万歳。万歳。万歳。」。最後は、皆が嗚咽して
声になりませんでした。時計の針は、6月6日
午前零時10分を指していました。日本では
深夜ですが、この場所では、もうすぐ夜が
明ける時刻でした。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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山口多聞 総員集合 [山口多聞]

 6月5日午後10時20分、飛龍の
司令部は、機関科指揮所の総員が
戦死したと判断しました。機関参謀は、
機関部との連絡は取れず、致命的な
被害をうけたものと推測されたとして
います。

 空母は、飛行甲板や甲板がダメージを
受けても、機関が無事であれば航行は
可能でした。母港に戻り、新しい飛行甲板が
作られれば、再び空母として生まれ変わり、
戦線に復帰できました。

 しかし、機関がやられれば、これ以上の航行は
不可能でした。巡洋艦や駆逐艦での曳航は
可能でしたが、翌朝に敵機動部隊が現れれば、
巡洋艦や駆逐艦も道づれにしてしまいます。

 この場に放棄すれば、ハワイに曳航されて、
改造を受けることになるので、残しておくことも
でませんでした。

 山口少将は、駆逐艦の魚雷で沈没させる
しかないと判断しました。飛龍から、近くに
いる駆逐艦の巻雲と風雲に乗員救助の短艇を
送って欲しいという旨の信号を出しました。

 午後11時30分、飛龍に総員集合がかけられ
ました。伝令の号令が、暗い飛龍の艦内に走り
ました。各部署で、消火や人命救助に当たっていた
搭乗員や整備員、兵員らが続々艦橋に艦橋前の
飛行甲板に集まってきました。

 辺りは火の粉があがっており、時々誘爆の
振動が伝わってきました。燃える機銃座から、
破裂した弾丸が四方に飛び散りました。

 乗員は、分隊長の名前を呼びながら捜し
求め、各分隊ごとに集まっていきました。
なかには分隊長を見つけられず、右往左往
している者もいました。

 黒焦げになった甲板の足元から熱が
上がってくる中、書く分隊長ごとに
人員点呼が行われました。


紹介書籍:山口多聞 空母「飛龍」と運命を共にした不屈の名指揮官
著者:松田 十刻(まつだ じゅっこく)
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