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巡洋艦大淀 島影が見える [巡洋艦大淀]

 うねりの中、筥崎丸は、大きな悲鳴を 上げていました。今にもばらばらになる のではないかと心配になるような物凄い 音響で、船全体がきしんでいました。  このような時の見張りは、眼も当てられない 状態となります。雨具を着ていてもびしょ濡れ となり、高い所はさらに揺れがひどくなります。 手摺りをにぎりしめても、振り回されてしまいました。  中でも、深い谷間に落ち込む時の気分は、 たまったものではありませんでした。また、 浮かび上がる時は、頭から血が引くのを 感じられるほどでした。  胃袋は、でんぐり返しでもするように、 中のものを突き上げてきました。それを 懸命にこらえながら、2時間の当直を 済ませました。  12月24日、見張りを済ませて居住区に 帰ると、朝食でした。その後、横になって 小野兵曹と話していたら、眠っていました。 そこに、「島が見えたぞ。」という誰かの声で 目を覚ましました。  上甲板に急いで上がると、船の前方に、 小さな島というより緑の塊が見えてきました。 それが次第に近づいてきました。島は、 波打ち際まで緑の草木に覆われ、久々に 見る緑が、陽に映えて鮮やかでした。  海面は、鏡のごとく穏やかで、その色は たとえようのないほど、澄み切った紺碧 でした。島に生い茂っている背の高い木が、 ヤシの木であることは、聞かなくても知って いたことでした。  しかし枝は見当たらず、葉が四方八方に 伸びて広がり濃い緑を滴らせていました。 海と空の青、雲の白しか見てこなかった 航海の末に、やっと見ることができた緑の 島影でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 見張りの重要性 [巡洋艦大淀]

 2隻の海防艦が、魚雷の発射された 方面に向かいかけていましたが、すぐに 引き返し、元の位置につきました。  小淵氏は、左舷にいた海防艦は、いち早く 雷跡を発見できる位置なのに、何の通報も なかったことに対し、午前2時は、どの船も 油断している時間なのかも知れないと 考えました。  結局、一発の爆雷も投下することなく、 その海面を離脱し、トラック島への航海は 続けられました。防御装備もなく、攻撃用の 兵器も持たない輸送船は、運を頼りの 航海でした。  横須賀港を出向して10日目、相変わらず 遅々とした船足でした。雷跡を目撃して以来、 小淵氏は、見張りが重要な役割であることを 痛感しました。  見張りの仕方については、海兵団でも、 砲術学校でもあまり教えがありませんでした。 小淵氏は、見張りの当直は、筥崎丸が 初めてでしたが、臨時要員ということで、 安易な気持ちを持っていました。  そのため、居眠りするという不覚をとった ことを、大いに反省していました。  朝方から大きなうねりが出始めた洋上は、 だいぶ荒れ出してきました。海兵団を卒業 したばかりの一等兵は、大部分が船酔いで 動けなくなり、食事の用意もできなくなって いました。  小淵氏もかなりきつかったものの、烹炊所に 行って、食事を受け取ってきました。途中、 何度も通路の壁面に叩きつけられたり、 カラ足を踏んだりして、やっとの思いで 居住区につきました。  頭は重く、胸はむかつくほど、今まで 感じたことのない揺れ方でしたが、こんなのは 序の口だと、下士官や兵長連中はうそぶいて いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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