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巡洋艦大淀 到着 [巡洋艦大淀]

 出撃前に脅されていましたので、この 作戦が敵潜の魚雷を回避し、敵機の 爆撃をかいくぐりながら決行するものと 思っていました。しかし、相変わらず 平穏な航海が続いていました。  南の島に輸送される陸軍部隊の 積み荷の中に、まだ切りたての青々 として太い竹が、何束も積み込まれて いました。敵潜の魚雷や敵機の爆撃を 受けて、沈没する艦が多いので、青竹を 浮き代わりに準備したようでした。  小淵氏の郷里には、このような竹は 随分あり、筏にして遊んだことが ありました。そのこともあり、竹を 積むのは、奇抜なようで、充分 役に立つと考えられました。  年が明け、1944年になりましたが、 艦内はいつもと変わりありませんでした。 小淵氏は、待機所のシートにごろ寝して いた時、「食事の用意です」として、 鈴木一水に起こされました。  いつもより早目の朝食が済んで、 片付け始めた時、入港用意のラッパが 鳴りました。当直以外は、全員上甲板に 飛び出し、しっかりと結束していた物資の 荷解きをはじめ、揚陸の準備をしました。  眼前に緑の島が近づいてきました。 澄んだ海水が、浜辺の椰子の根元の 砂浜を洗っていました。湾内の中程まで 静かに進み、入ってきた方向に回頭し、 停止しました。  陸軍部隊は、上陸の用意を整え、 上甲板に集合していました。これから 守備につく島の様子がどんなものか、 古参兵たちでした。この湾は遠浅なのか、 陸地がかなり遠くにありました。  やがて大発が近づいてきました。  舷側に横付けされ、陸軍部隊が移乗を はじめました。物資がドンドン吊り降ろされ、 甲板上が慌ただしくなりました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 1943年大晦日 [巡洋艦大淀]

 1943年最後の日、故郷では雪が積もって おり、門松やしめ飾りをして、正月の用意も 整い、家中の者が集まって、一家団欒の ひと時をすごしているだろうと想像して いました。  小淵氏は、砲術学校を卒業する少し前、 父と亡き母の写真を姉から受け取って いました。そこには、「身はたとえ、 異境の海に果つるとも、護らで 止まじややまと御国を」という、 軍神岩佐中佐の辞世の句が 書かれていました。  そして、母の戒名「全誉法善大姉」の脇に、 「守男君。父母がそしてみんなが守って おります。帝国軍人として御国のため、 我が小淵家を代表して、一生懸命に 励んでください。」と書いてありました。  それ以来手紙を出していないことに 思い至り、手箱を台にしていつ出せるか わからない手紙を書き始めました。  この日の航海も平穏無事で、二隻の駆逐艦を 左右に従えて、大淀と能代は、快速で進撃して いました。出撃以来快晴が続き、洋上も静まり 返って、敵の反攻がせまる最前線基地に 向かっているという実感が、少しもありません でした。  出撃した翌日、「今度の出撃は、大変なことに なるぞ。ここを出れば、すぐ敵の潜水艦が待ち 構えているか、敵機に見つけられて、どんな 軍艦でもみんなやられてしまうんだぞ。」と 言われていました。  さらに、「大淀の外板は薄いから、魚雷一発で 轟沈だ。発令所では逃げ出せないな。まだ 子供だから、可哀想になあ。わざわざ死ぬ ために来たようなもんだなあ。」などと、 冗談なのか本気なのか、そんな事を 言っていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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