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巡洋艦大淀 はじめての太平洋 [巡洋艦大淀]

 父島を出発する際、「水兵科で技術章を 持っているものは、見張りに立て。」といわれ ました。一組6名で5班編成されました。 当直は二時間ずつで、一昼夜に二度の 当直でした。  小淵氏は、船の中央で、煙突の中段に 鉄製の回廊があり、その右舷でした。 左舷にも1名立っており、船尾に2名、 船橋に2名いました。船橋には何台かの 双眼鏡があり、この船の乗組員で正規の 見張員が4名立っていました。  船橋に立つ見張員は、主として下士官で、 煙突と船尾の見張員は裸眼での見張りでした。 昼間の当直は、はじめて見る太平洋の 黒潮なので、珍しさもあり、気も紛れました。 しかし、夜は退屈そのものでした。  父島を出てしばらくすると、海上はいく分 うねりが出てきました。老朽の筥崎丸は揺れる たびに「ギギー」と悲鳴を上げました。  左右を護衛している海防艦は、うねりの 谷間に落ち込んで、見えなくなったかと 思うと、突き上げられるように現れました。  このうねりのため、海兵団教育が終わった ばかりの者は兵は、船酔いする者が だいぶいました。  便乗者の中には、横須賀砲術学校の 卒業して任地に赴く者がかなりいましたが、 特年兵は小淵氏一人でした。探してみた ところ、少年兵が一人いましたが、電信兵 でした。  便乗者は、下士官も兵も打ち解けて 思い思いのことをしていました。小淵氏も、 見張り以外にすることはなく、見張りに立って いないものは、全くやることがありません でしたので、退屈していました。  そこで、毎日のように演芸会が行われて いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 横須賀港を出港 [巡洋艦大淀]

 2隻の海防艦に護衛され、筥崎丸は 横須賀港を、静かに動き出しました。  港内は風もなく、穏やかな日和でした。 楠ヶ浦をまわり、3つの海堡を前方にして、 滑るように進む船上から、砲術学校の 練兵場や勝力崎が遠望できました。 しかし、小淵氏は、感傷らしい気分に はなりませんでした。  港内には、駆逐艦や駆潜艇などの 小型艇は見られましたが、戦艦山城 以外に軍艦の影はありませんでした。 秘密ドックで就航が急がれる信濃は 港内からも姿を見ることはできません でした。  筥崎丸は、横須賀を離れ、東京湾を 静かに航行していました。目的地は、 連合艦隊がたむろするトラック島 でした。大淀もそこにいました。  小淵氏は、戦闘に参加できると 思うと、熱い血潮がたぎるのを 感じたとしています。  筥崎丸には、1000人近くの便乗者が ありました。船内の居住室には、畳が 敷かれており、いく室にも区割りされて いました。また天井が高い部屋は、 棚が造られそこに居住するように なっていました。  畳一畳に二人の割合で押し込まれ、 横になると、足の踏み場もない状態 でした。寝具は一人当てに毛布二枚で、 救命胴衣が枕になりました。  横須賀を出発して3日目、敵潜が 出没しているという情報が入りました。 筥崎丸は二隻の海防艦と共に、 父島に退しました。  父島は緑の樹木に覆われ、波浮の 港の歌を思わせる美しい入り江でした。 入口近くに水上機の基地があり、近海の 偵察に行くのか、水上機が飛び立ち ました。  父島で一や明かした筥崎丸は、再び 南下をはじめました。偵察の結果、 敵潜は見当たらないということ でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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