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巡洋艦大淀 能代の状況 [巡洋艦大淀]

 柩が沈んでいくのを、全員が挙手の礼で、 霊安らかれと祈りました。大淀は、海面を 静かにまわり出しました。 「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、 大君の辺にこそ死なめ、かえりみはぜし」  広い海原は、2つの屍を抱いて、鎮まり 返っていました。そのエメラルドブルーの 母なる海は、なんとも暖かい味のある 感じがしました。  物悲しいラッパの音色は、澄みわたった 天空の彼方へ、2つの霊とともに、静かに 吸いとられていくようでした。  赤道直下の美しい海に、大淀の初の 犠牲者は、丁重に葬られました。その 二人の霊に護られているかのように、 この日も無事に暮れました。  明けて、1月3日、青い海原と、輝く 太陽と澄み切った青空が果てしなく 続いていました。  後続の能代は、復原したようで、 傾きはなくなっていました。しかし、 艦首は、正常より3mも沈んで いました。  そして小淵氏は、上曹から、「能代は だいぶやられて、発令所は水浸しになり、 全員戦死したそうだ。  あれだけホースを突っ込んでいるから、 他にも締め切られてだいぶ死んだ者が いるだろう。大淀の発令所でなくて よかったな。」と聞かされました。  小淵氏は、もしかしたら同期の者が いるかも知れないと感じましたが、 横須賀砲術学校で、能代へ乗り組み とは聞いていない気がしたので、 判断はつきませんでした。  それでも、同じ戦闘配置がやられたと 聞けば、それがどの艦であっても、あまり 気分の良いものではありませんでした。  大淀ら4隻がトラック島に到着したのは、 1月4日の午後でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 水葬礼 [巡洋艦大淀]

 大淀は、無傷で立派に初陣を飾りました。 同時に、小淵氏も初陣でした。  小淵氏は、今まで、大和や武蔵に乗る人達を うらやましく感じていたことがありましたが、 この時は、大淀に勝る軍艦は眼中に ありませんでした。  巡洋艦乗組には、確固たる信念があって 希望したわけではありませんでしたが、大淀の 乗組員になれたことを、心から嬉しく感じて いました。  大淀は、快速で夕暮れ迫る赤道直下の 洋上を進撃していました。上空は、すでに 濃い闇に包まれ、明紺の洋上も次第に 暗色に変わっていきました。  洋上は、波のうねりもなく、穏やかな 黒ぐろとした広い平坦な世界でした。 その広大な洋上に、白く、長い航跡が 果てしもなく水平線の彼方へと続いて いました。太古以来の静寂な洋上に、 わずかな爪痕をしるしているかのよう でした。  夜が明け、紺碧の大空に昨日同様の 陽光がさんさんと照り輝き、洋上は、風も なく波もありませんでした。  昨日の戦闘で散華した二人の水葬礼が 行われるので、非番の乗組員は、二種軍装に 着替えて、参列しました。  工作科員により二個の棺が作られ、 二柱の英霊の遺体が納められました。 中に高角砲の演習弾をおもりとして 入れられ、軍艦旗に包まれた柩は、 後甲板に飾られました。  僧侶出身の清水少尉が、読経を捧げ、 艦長、副長、航海長、所属分隊長と 関係者が焼香し、乗組員一同で、 冥福を祈りました。  葬送ラッパが、喨々鳴り渡る中、2つの柩は、 艦尾デリックのところに運ばれ、一つずつ 吊り降ろされ、穏やかな波間に沈んで いきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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