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巡洋艦大淀 本当の歓び [巡洋艦大淀]

 2月になり、停泊していた軍艦が、 めっきり少なっていきました。大淀は、 離れたところに停泊していたので、 気をつけていないと気づきません でした。  艦内では、時々スコールを利用して、 洗濯が行われました。甲板に帆布を 張り、雨水をためて、洗濯したり体を 洗ったりしました。ちょうど乾季だった ので、時々しか雨は降らず、貴重でした。  それは、艦内での入浴は、10日に 一回くらいですが、上等兵や一等兵の 番になるころには、上がり湯もなく、浴槽の 湯も、ドロドロになっていました。  浴室内の熱気で、汗を拭き取り、わずかな あがり湯の配給で、体をしめらすのが 入浴でした。  週に一度の酒保開きに、艦内で作っている ラムネが配給されました。さらに、月一度、 戦給品としてタバコと羊羹などの菓子が、 配給されました。この量は、下士官も兵も 同じでした。タバコに用がない小淵氏は、 お菓子と交換していました。  ラムネの製造と、戦給品の配布は、小淵氏が 所属している第二分隊の兵曹が行っており、 小淵氏は、手伝いとして呼ばれていました。 手伝いは、何かしらありつける役得があり、 楽しみにしていました。  このように、前線基地での厳しい艦隊勤務の 中でも、楽しいことはかなりありました。苦しみの 中にある些細な楽しみこそが、本当の歓びでした。  ここまでの小淵氏の手記を見ると、下級兵に とって艦隊勤務は苦難のるつぼだと思われますが、 現実には、気の持ちようで、誰もが国家の大目的の ために、自己を滅しての勤務なので、苦難や 試練も前向きに昇華できました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 現地民 [巡洋艦大淀]

 島の反対側にきた小淵氏は、石を 積み上げた堤防で釣りをしている人を 見つけました。  40年配で基地の設営に来ている 軍属のようでした。バケツには、 うなぎのようなものが6匹程おり、 きくとウミヘビということでした。  石垣から、頭を出しているのが数匹 見えました。おかしな形のカニなども いて、水族館の水槽を覗いている ようでした。  時々、現地の子どもが、物欲しそうな 顔つきでついてきました。話しかけても 何も答えませんでしたが、「コンパニー」 と言うと、ニヤッと笑いました。  大人の現地人は、何となくノッソリとして いましたが、子どもたちは敏捷でした。この 子どもたちには、日本名の太郎や次郎などが 付けられているということでした。  椰子の木で覆った丸太小屋の中で、老齢の 現地民が、「タバコ」と手を差し出していました。 仲間が何本かのタバコを渡すと、素早くしまい 込んで、次にやってくる者に同じようにねだって いました。  この島の人達は、派手な色柄の服を着て いました。現地民の中に、色白で整った顔の者も いましたが、それは、スペイン人との混血だと、 下士官が教ええくれました。  すっかり陽焼けした小淵氏らより、はるかに 色白で、「色は黒いが南洋じゃ美人」と 言えそうでした。  島を歩き回っているうちに、またたく間に 時間が過ぎ、早目に桟橋へ戻っていないと、 乗り遅れて、カッターを自分で漕いで帰艦 しなければなりませんでした。  上陸があると、艦内は、椰子の細工や、 パイプ等がはやりました。パイプは、現地の 材料で艦内で制作したもので、こんな楽しみ しかないトラック島泊地なので、艦長も黙認 していました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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