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巡洋艦大淀 陸軍中尉 [巡洋艦大淀]

 大淀らは、快晴の日差しの中を進んで いましたが、暑さは感じませんでした。 陸軍の兵士も、大部分が上甲板に出て いました。居住区では、一杯で暑苦しい からだと思えました。  陸軍の兵士の一人が、小淵氏に話し かけてきました。そして、「大和の主砲は、 どうしてあのように速く動くのでしょうか。」と 質問してきました。軍艦を知らないものには、 不思議に思われたのだろうと感じました。  さらに、大和がトラック島に来る途中、 雷撃を受け、一本命中したという話をして いました。被害は、少し凹んだくらいだと いうことでしたが、小淵氏は全く気づきま せんでした(実際の被害は、5m×10mの 破孔が生じ、浸水していました)。  小淵氏が陸軍部隊を見ると、見知った顔が ありました。人違いかと思いましたが、 名前を見て、故郷である中之条町出身の、 金井中尉であることが分かりました。  小淵氏は、金井中尉を町で何度か見ており、 国民学校の生徒の時、出生兵を見送ると、必ず 金井中尉がいました。少年の胸には、陸軍中尉は 羨望の的であり、近くを通っただけでも胸を ときめかせていました。  声をかけようかと思いましたが、自分は 上等兵で、相手は将校でしたので、慣れ なれしく話しかけるわけにもいきません でした。ためらっていると、中尉は、同僚と 話しながら、艦内に入っていきました。  小淵氏は、金井中尉がいるなら、この連隊は 高崎の部隊だと思い、同郷のものがいないか 探してみましたが、見つかりませんでした。 尋ねると、宇都宮の連隊だということでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 泊地を発進 [巡洋艦大淀]

 大和から、各種の物資がデリックで 大淀に移載されるので、当直以外は、 全員が搭載作業に夜遅くまで、取り 組みました。  翌日も、輸送物資の移載作業が 行われ、甲板上に野砲や兵器類が 一杯並べられました。  その物資も山のように積み込まれ、 甲板は乗組員と陸軍兵隊とでごった 返していました。そのため、波もない 泊地で、大淀は揺れていました。  その時、兵長が、「大和があんなに 揺れているぞ。」と言ってきました。見ると、 確かに揺れていました。  兵長は、「大淀はいい艦だから揺れ ないが、大和は大きい割に安定性が ないから揺れるのだ。」と言っていました。 大和のマストは揺れているように見え ますが、これは、兵長にからかわれて いるだけでした。  12月29日、陸軍部隊や戦略物資の 移載を終えて、準備万端整った大淀、 能代の二艦は、最新鋭の防空駆逐艦 秋月と朝潮型駆逐艦山雲の2隻を従えて、 夕暮れ迫る泊地を、静かに発進しました。  南水道を通過してしばらく進むと、第二 戦闘配備が号令されました。小淵氏は、 見張り当直が割り当てられました。この 当直は、8時間おきに回ってきて、 2時間づつの当直でした。  これ以外は、下級兵の役目である食事の 用意と、後片付けくらいで、航海中は 呑気なものでした。  12月30日、小淵氏は、見張りの当直が すんで、待機所に戻ってくると、皆眠って いました。  昼食までには、間があるので、上甲板に でてみました。洋上は、油を流したように 静かで、4隻の航跡が長く尾を引いて、 水平線の彼方に続いていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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