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巡洋艦大淀 物資搭載作業 [巡洋艦大淀]

 物資の搭載のため大発が準備され、 小淵氏は大発に乗って、はじめて 南洋の土をはじめて踏みました。  秋島と言われるこの島には、艦隊用の 弾薬が3年分も貯蔵されているということ でした。  高角砲弾や、機銃弾などは、野積みに なってシートを覆ってあるだけでした。 大淀の主砲弾は55kgぐらいの重量で、 それが規定量の300発積み込まれました。  それに、徹甲弾や、演習団などの不足分も 補充しなければなりませんでした。  高角砲弾や、機銃弾などの不足分も、 それぞれの担当分隊によって、搭載作業が はじめられました。弾薬庫から、大発の ついている桟橋まで、主砲弾を担いでの 運搬なので、かなりの重労働でした。  弾薬や食糧の積み込みは、戦闘より大変 であると聞いていましたが、それが、翌日も 続けられました。小淵氏は、改めてよく 1時間でこれほどの弾丸を撃ったものだと、 感じていました。  2日がかりの搭載作業が終わったので、 翌日から碇泊中の日課になりました。 停泊中が、月月火水木金金で知られる 猛訓練の場でした。毎日二回以上の 戦闘訓練が行われ、乗組員は 鍛え上げられました。  主砲発令所は、配置換えがありました。 当初、小淵氏は伝令になりましたが、 特技章を持っているということで、射手盤に 回されました。射手盤は、射撃盤の一種で、 重要な配置でした。  この配置でも猛訓練が行われました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 苦境より脱するには、すみやかにその苦しみに慣れるにあり [巡洋艦大淀]

 帰還した夜、帰還祝いがあり、各分隊の 居住区では、盛大な酒宴が開かれ、生きて 帰れた歓びが爆発しました。  小淵氏も無理やり酒を飲まされ、はじめは、 「こんなまずいものが」と思っていましたが、 酔いがまわって朦朧となり、愉快な気分に なりました。  しかし、下っ端の一等兵や上等兵は、決して ハメを外すことはできませんでした。酒宴の かたずけ、甲板清掃、吊床降ろし、巡検用意と やらなければならないことが、いっぱいありました。  さらに、見張りや衛兵の当直なども 役目となっており、碇泊している時は、 種々の日課がびっしりと組まれていました。  トラック島へ帰還する途中、一人の兵士が 行方不明となっていました。乗組員全員が 事業服の襟を外して、脱帽姿で当人と 区別がつくようにしてから、捜しましたが ついに見つけられませんでした。  聞くところのよると、見張り当直中居眠りを して、後の罰直を恐れて自殺したという話 でした。  厳しい艦隊勤務とはいえ、弱気な行為だと 小淵氏は感じました。ただ、どの艦でも、最下級の 兵の自殺はありました。3ヶ月の教育を受けた くらいでは、軍人精神は出来上がらない ということでした。  兵には、強固な意志と根性が必要でした。 精神棒を振る兵長や下士官も、はじめは 同じように鍛え上げられてきていました。  「苦境より脱するには、すみやかにその 苦しみに慣れるにあり。」が軍人として生きる 第一歩の自己鍛錬でした。  翌日、出撃前に陸揚げした艦内用具の 搭載と、弾薬や食糧の搭載作業が行われました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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