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巡洋艦大淀 甲板整列 [巡洋艦大淀]

 巡検が終わると、「タバコボン出せ」の 号令があり、その後は自由となって いましたが、下級兵にはそのような ことはありませんでした。  ここから、最も厳しい日課がありました。 それは、巡検後の甲板整列でした。 二分隊は、後部上甲板に整列 しました。  下級兵にとって、この時ほど、恐怖に身が 縮む思いのする時はありませんでした。 カラスが鳴かない日があっても、甲板 整列の行われない日はないというのが、 海軍でした。  これはその日の締めくくりで、艦船では、 日清戦争の頃からの伝統でした。決り文句は、 「日本海海戦に大勝利を納めたのは、 東郷大将が偉かったからではなく、精神棒に よって鍛えられた兵卒が強靭だったからだ。」 でした。  これは、精神棒を使う口実ともとれるもので、 殴打する理由は、いくらでもありました。 「たるんでいる」「態度が悪い」の一言で 制裁がまかり通りました。  整列をかけるのは、兵長級で整列している 一等兵から、一人ずつ前に呼び出し、 精神棒で殴打しました。  時に制裁の行われない日もありましたが、 それは、艦首脳部から褒められたとき くらいで、これで湯頂点になっていると、 翌日には、「今日のざまは何だ」となり、 反動がきました。  全員前に支えと制裁が行われました。これは、 腕立て伏せの姿勢を維持するもので、一日中 激しく動き回っている体には、こたえるもので、 殴られるより苦痛な制裁でした。体中の水分が しぼり出されると思えるほどの流れ出します。  甲板整列の制裁が厳しいとは聞いていましたが、 想像以上のものでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 午後の課業 [巡洋艦大淀]

 午後の課業になり、二分隊は取り扱う 兵器の整備を行いました。どれも精密機械 であり、分解して整備することはしません でした。埃を拭き取って注油し、誤差の 修正などが主な作業でした。  兵器の手入れが終わると、30分くらいの 休憩が与えられました。この時間に、本来 許されていない魚釣りを、甲板士官の 目を盗んで楽しむ下士官がいました。  獲物は、ハゼの大きいようなものが 釣れました。その魚には、髭があるので、 先任伍長というあだ名がつけられました。  先任伍長は、各分隊で最も古参の 下士官のことで、立派なヒゲを立てて いるものが多いという特徴がありました。  他に、座布団とあだ名された魚が 釣れました。大きさも、ちょうど座布団 くらいで、海底からゆらりと引き揚げられる 恰好が、座布団に似ているので、そんな 名がつきました。  夕食が済むと、訓練戦闘が号令され ました。太陽が沈んだばかりの薄暮でした。 この訓練が1時間位で終わると、甲板清掃が ありました。  この後、「総員吊床降ろせ」の号令が 下り、二人一組になって、寝台の支柱を 建て、天井に収めてある、寝台を外して 組み立て、まわりに網を張ります。  寝台を作ろ終えると、今度は、吊床を 素早く吊り、就寝の用意を整えました。 この手順は、海兵団と同様ですが、艦船の 場合、吊床は自分の物だけでなく、上級者の ものを全部やらなければなりませんでした。  吊床降ろしが終わると、巡検用意の号令が かかりました。しかし、寝台の組み立てなどに まごついていると、やり直しが命じられました。 何度もやり直しをさせられていると、やがて 巡検ラッパが鳴り渡ってきました。  このラッパを吊床内で聞くことは、艦隊 勤務時にはありませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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