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巡洋艦大淀 演芸会 [巡洋艦大淀]

 演芸会を大淀で行うのは、これが始めて でした。上級者の話では、他の艦にいた時は、 面白い出し物計画されたそうでした。  小淵氏のいるニ分隊も、面白いストーリーが できあがり、毎夜練習が行われました。小淵氏も メンバーに入れられ、電路室に集まって、演劇好きの 横川上曹が演出者になり、兵長と上等水兵が メンバーでした。  演芸会は、分隊対抗となり、審査員は、 各分隊士がなりました。各分隊とも、内密で 練習を続けていました。小淵氏らは、 演芸会の日を楽しみにいていました。  ある日、上曹に何の役をやるのか聞かれ、 「原住民です」というと、「原住民に向かないな」と 言われました。そこで、小淵氏は、「当日は、煙突の ススを全身に塗ります。」というと、「それは面白そうだ。」と 言われました。  そうこうしているうちに、演芸会の日が明日に 迫りました。工作家の人達や、各分隊からの 作業員で、後甲板に立派な舞台が出来上がり、 飾り付けを行っていました。  その夜、居住区を使って、最後の総仕上げを することになりました。劇中の人物は、艦内の 器具などの名称を付けて呼ぶ、「西洋風の喜劇」で、 ダビット公、ラッタル姫、デリック、オスタップなど、 珍妙な名前がつけられました。  名前を聞いただけで、吹き出したくなるような 喜劇で、優勝は、我が分隊がもらったとばかり、 賞品の皮算用するものまでいました。艦内は、 にわかに沸き立ちました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 兵は迅速を以って事に当たるべし [巡洋艦大淀]

 艦隊勤務の戦闘分隊員には、各種の 当直が割り当てられていました。  見張り当直、衛兵当直、時鐘番兵など でしたが、それらも一通り体験した小淵氏は、 艦内の電話交換手の当直に、まわされたことが ありました。  交換室は狭い場所で、そこで3人一組に なって直をしますが、始めのうちは、つなぐ ために挿し込む位置を探すのも苦労して いました。馴れてくると、言われた所に すぐに手が届くようになってきました。  電話交換室は、小淵氏の戦闘配置である、 発令所のすぐ下にあるので、戦闘訓練の時は、 すぐに配置につくことができ、都合が良い 場所でした。  これが、見張員の直の時は、正規の 見張員が駆け上がってくるのを待って、 申しつぎをし、艦の最低部にある発令所に 駆け降りる必要がありました。  見張所から、発令所までは、14階の ビルほどの高さがあり、上がってくる ものを避けて降りる必要があるので、 大変でした。  「兵は迅速を以って事に当たるべし」で、 海軍では、迅速・確実・静粛がモットーと されていました。敏捷に動き回らなければ ならない艦隊勤務では、南洋ボケに なりたくても、なれそうにありませんでした。  艦内は厳しい訓練に明け暮れてるものの、 戦争も中休みのような平穏な毎日が続いて おり、新聞など手に入らないので、噂が 広まることになりました。  そんな中、2月に入って1週間ほど 過ぎた頃、大淀艦内で、演芸会が 開かれる事になりました。そのため、 勤務時間が済んでから、各分隊で 練習が行われました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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