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巡洋艦大淀 出撃命令 [巡洋艦大淀]

 艦底の諸室は、昇降用の通路だけで、 すぐ近くにある高角砲の弾火薬庫や 高角砲発令所などへの横の通路は、 設けられていませんでした。  これは、艦が被弾して浸水した場合に 備えて、最小範囲で浸水を止める構造 でした。  それぞれの待機所は、戦闘配置近くに 設けられているので、小淵氏ら第二分隊員は 各所に分散していました。  待機所は、デッキにキャンパスを敷いた だけのところで、食事から就寝まで一切が そこで行われるようになりました。  大淀に乗り込んでいる将兵は、800名 前後で、乗組員は総てそれぞれの戦闘 配置が与えられており、工作科の人達も、 戦闘の場合は、応急要員として、運用科に 所属することになっていました。  1943年12月26日、世界最大を誇る 戦艦大和が、トラック島の艦隊泊地に 威風堂々と入港しました。護衛の 駆逐艦が、駆潜艇に見えるほど でした。  大和が横須賀から輸送してきた陸軍 部隊や戦略物資を移載して、ニュー アイルランド島カビエンに輸送すべく 命令を受けていたのが、大淀と能代 でした。  翌日、大淀は、大和の左舷に横付けし、 桟橋が架け橋されました。小淵氏は、 寄り添って見る巨艦に、肝をつぶさん ばかりに驚いたとしています。  10600tの大淀も、大和と比較 すれば、影に隠れてしまい、大和 右舷からは見ることはできなく なりそうでした。  そうしているうちに、陸軍部隊が どんどん移乗を開始しました。大淀は 急に慌ただしくなりました。小淵氏も、 大和を感心して見ているわけには いきませんでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 挙艦一致 [巡洋艦大淀]

 軍艦に勤務する者は、課せられている 任務を瞬時もおろそかにできませんでした。 「挙艦一致」して、はじめて強力な軍艦と なります。  それには、いかなる場面に直面しても、 自己の任務を完全に遂行することが 要求されました。それには、厳しい 訓練を積んでゆくしかないことは、 当然でした。  連合艦隊の仲間入りして間もない大淀は、 乗組員の練磨はことのほか厳しい艦でした。 それは、かつて戦艦比叡にのっていた乗組員 であった人達や、数度の海戦を経験した 人達が、意識を盛り上げていたからでした。  小淵氏が転勤してきた時、大淀は、出撃 命令を受けており、準備中でした。戦闘に 必要な物以外は、陸上の基地に置いていく ので、食卓や組立式のベッドなどは、陸揚げ されていました。  後部にある下士官兵の居住区は、陸軍部隊が 乗艦するので、乗組員は、戦闘配置の待機所で 起居する事になりました。  小淵氏の戦闘配置は、主砲発令所でした。 艦橋下の下甲板に待機所を作りました。丁度、 艦の祭殿である大淀神社の裏手で、発令所に 降りていくハッチが直ぐ側にありました。  そのハッチから急勾配のタラップがあり、 途中にいま一個のハッチがありました。 それを潜ってさらに降りると、戦闘配置の 主砲発令所でした。  このマンホールのような通路は、発令所と 電話交換室のみの昇降路で、電話交換室は、 発令所のさらに下にありました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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