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巡洋艦大淀 久しぶりの洗濯 [巡洋艦大淀]

 マニラを出港した翌日、海底に珊瑚礁の 起伏が多く、至るところが暗礁になっている 南沙諸島の海域を通過し、7日の早朝に ボルネオ島北西部のミリに入港しました。  ここはいい油田があることで知られて いましたが、艦上から見る限り鬱蒼とした 密林が海岸まで覆い尽くして、桟橋も なければ、小舟も見かけられません でした。  錨を下ろし、朝食が済むと、「総員洗濯」が 命じられました。上甲板で、各分隊ごとに 帆布を広げ、洗濯桶やドラム缶に真水の 配給を受けました。  数次の戦闘や弾薬補給などで、被服は 何着も汗と油まみれになっていました。 久しぶりの洗濯に大はしゃぎでした。  やがて、洗い終わった洗濯物を乾すべく、 ロープを張ろうとしていた時、「配置につけ」 のラッパがけたたましく鳴り響きました。  小淵氏は、大急ぎで配置につき、対空 戦闘に備えましたが、主砲用の対空弾は 一発もないので、発砲はできません でした。  敵は、B24が3機でしたが、高高度の ため高角砲は届かず、敵機も爆弾を 落としましたが、大淀から大きくそれて いました。敵機が去り、洗濯を干し終えて、 昼食を用意していると、また配置につけの ラッパが鳴りました。  やがて、これは、敵機ではなく、真昼に 輝いている星であることが明らかになり、 解除となりました。  夕刻になり、油槽船から給油と飲料水、 洗濯桶や空き缶なども補給を受け、戦闘 配置や居住区の隅にしまっておきました。 小淵氏は、久しぶりの洗濯と体を拭くことが でき、さっぱりした気分となっていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 運命は紙一重 [巡洋艦大淀]

 大淀は、第一遊撃部隊に合流することが 通達されました。水先案内として駆逐艦 清霜がつきました。  11月5日に予定通り出港した大淀は、 マニラ湾内の機雷原を抜けきろうと していた時、背後のマニラは大空襲を 受けていました。この空襲で、那智は 2つに折れて轟沈しました。  この時、マニラ上空を乱舞する敵機が 見張所からも遠望できたということでしたが、 大淀は襲撃されませんでした。  大淀は、本来、マニラで次の命令を待つ ことになっていましたが、襲撃の前に出港 することができ、難を逃れました。運命は 紙一重でした。  奄美大島で大淀が受けた命令は、 「マニラに行き、遊撃部隊に渡す弾薬や 物資の搭載を行い、次の命令を待て。」 というものでした。  大淀は積み込みを完了していましたが、 次の指令が来ませんでした。危険を感じた 副長は、艦長に、南西方面司令部の意向を 聞くように具申し、艦長は副長の具申通り 意向を聞くと、一刻も早く当地を離れて、 遊撃部隊と合流すべきという助言を 得ました。  艦長は、この助言に従い出港を決意 したので、重大な危機を脱しました。 (追記)  大淀と一緒にマニラに来た若月は、 マニラ入港と、早々にレイテ島への救援 物資を緊急輸送する命を受けて、 11月11日にオルモック湾内で、 敵機の猛襲を受け撃沈されました。  この話を聞いた小淵氏は、奄美大島出撃 以降、弾丸を補充できたのだろうかと考えた としています。補充もできないまま出撃し、 この結果だとしたら、さぞ無念だっただろう としています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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