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巡洋艦大淀 セレター軍港出港 [巡洋艦大淀]

 陸地に降り立った小淵氏は、赤道直下の 暑さを感じました。その暑さの中を、 物珍しさもあって、アチラコチラと 歩き回るだけで、どんどん時間は 過ぎていきました。  いつの間にか、桟橋には迎えの大発が 来ていましいた。散々歩き回って、靴は 埃まみれになっていました。帰還すると、 すぐ食料搭載があり、80kgもある大きな 南京袋を担がされました。  それを担いで桟橋を渡りましたが、とても 二度とは続かないしろ物でした。内容は 何か分かりませんでしたが、どれも大きな 南京袋に詰め込んだ物ばかり搭載しました。  翌日は、午前中に飲料水の補給と、 弾薬の搭載が行われました。午後には、 また食糧の搭載があり、それが終わると すぐに、「出港用意」のラッパが鳴り 響きました。  セレター軍港を静かに動き出した 大淀は、ジョホール水道を音もなく 進みました。ここの海水は濁っており、 海峡を通過すると凪いだ洋上で泊地に 着いたのは夕刻でした。  この頃、小淵氏は、暑さがこたえ、 食欲がなくなってしまいました。艦に 積み込まれた食糧は、マニラや セレターの物ばかりになったのか、米は 南京米と呼ばれるポロポロの米で、全く 味も素っ気もありませんでした。  おかずは深海魚の冷凍物で、スケソーダラの ような大味の魚ばかりでした。乗組員は、 「今日も猫またか」とうんざりしていました。 あまりの不味さに、猫もまたいで通る ということのようでした。  誰も食欲がないと見えて、飯もあまるように なりました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 セレター軍港 [巡洋艦大淀]

 大淀は、乗組員の、横須賀以来50日ぶり となる上陸ができるという期待を乗せて、 波静かな洋上をセレター軍港に向かって いました。  やがて、前方に陸地が見え、その奥まった ところを目指して進むと、海峡というより川の ようなところに入りました。  両岸に熱帯樹や椰子の大木が茂っている 陸地が近々と見え、水上に杭を打ち込んで 建てられた原住民の人家が並んでいました。  こんな狭いところを戦艦が通れるのかと 思えるほど、ジョホール水道は狭い海峡 でした。それを進んでいくと、かなり広い ところに出ました。そこがセレター軍港 でした。  浮きドックには、妙高が入居して修理中 でした。高雄は、マレー半島寄りの岸辺に、 あの傷口をあけたままの姿で、悄然と 碇泊していました。  午後7時15分に、大淀は港内に碇泊 しました。ここは、太平洋戦争の初期に プリンス・オブ・ウェールズが基地として いた軍港で、今では遠い昔話のような 気がしました。  セレター軍港は、軍港らしい施設は 浮きドック以外には大したものもなく、 陸上にもあまり大きな建物は見当たり ませんでした。西方にジョホールの 市街が遠望され、有名な橋も眺められ ました。  11月28日、乗組員の半数が上陸 しました。小淵氏は、この日は上陸できず、 艦に残って重油の搭載作業や、各種の 雑用で艦内を駆けずり回りました。  翌日、小淵氏は上陸番が回って きたので、朝食が済む水筒や弁当を 持って前甲板に整列し、点検を受けて 大発に乗り込みました。  大発で、ジョホールの橋の右手岸に 運ばれ、どこというあてもなく5人の 仲間と連れ立って歩き回りました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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