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巡洋艦大淀 「発令所員全員戦死しました。」 [巡洋艦大淀]

 11月20日夕刻、リンガ泊地に入港した 艦隊は、それぞれのところに碇泊しましたが、 ここは、遠くかすかに島影が見えるだけの 洋上でした。泊地に入った艦隊は、翌日から 猛訓練が続きました。  ここは殺風景な洋上なので、夜に星を眺める くらいしか楽しみがありませんでした。連日の 戦闘訓練は、これまでになく激しいもので、 通常の訓練ではなく、あらゆることを 想定しての訓練でした。  欠員が生じた場合などの戦闘方法も研究され、 方位盤手だった阿久津上曹が戦死したことが 良い教訓となっていました。  艦が完全無欠の場合は問題ありませんが、 少しでも損傷すると、艦の機能は著しく低下 しました。それをどのように補うのかその巧拙が、 艦の運命を決することになりました。  「発令所。魚雷命中。」といったことも想定 されました。電動機を止め、射撃盤の機能を 一切停止し、「発令所員全員戦死しました。」と 変な報告をして、ニヤニヤしていました。  号令官は、「ふざけていると、本物になるぞ。」 といっておどかしてきましたが、発令所員は、 「こんな具合に毎日戦死するのもいいなあ。」と 相変わらず陽気な状態でした。  毎日、猛訓練が続いていましたが、24日に なると、伊勢、日向、榛名の戦艦3隻は、 セレター軍港に向かいました。大淀と、 足柄は残って、戦闘訓練が行われて いました。  11月27日、大淀にも、「翌朝セレター軍港に 向かうように。」という命令が下りました。この 命令に大淀の乗員には、底抜けに明るい顔が 並んでいました。それは、誰も上陸が許可 されることを知ったからでした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 残存艦隊、長島泊地に移動 [巡洋艦大淀]

 大型爆弾が何百発も投下された 泊地内は、海水も煮えたぎり、魚も 生物も全て死滅したと思われました。  しかし、この爆撃で、泊地内に停泊 していた艦は、5隻とも、かすり傷一つ 負いませんでした。やがて、投下弾の 炸裂音もなくなり、敵機の爆音も 消えました。  しばらくして、「用具納め」の号令が なされました。随分と長いこと、襲撃 されたように感じましたが、20数分しか 過ぎていませんでした。  小淵氏は、12時の鐘が鳴るまで、再び 当直に立ちました。当直が終わり、大きな魚 でも浮いているかと思いましたが、見当たり ませんでした。  11月17日、昨夜の出来事など、全く 関係ないというかのように、朝日が輝いて いました。午前中は、艦内整備作業で、 あまり手入れのできなかった箇所が、 手際よく整備されていきました。  昼食の時、午後3時40分に出港し、 長島泊地に向かうことが通達されました。 定刻になり、出港が命令されると、大淀、 足柄、羽黒、榛名、清霜の順で出港して いきました。  11月18日に、長島泊地に入港 してみると、奄美大島で別れた伊勢と 日向が停泊していました。内地に帰って 修理を済ませて、ここまで来るというのは、 かなり忙しい日程だったと思われます。  伊勢に、大淀乗り組みの補充員が、 二分隊にも配属され、小淵氏の班にも 2名来ました。小淵氏は、これで食卓番 から解放されると思い、嬉しさがこみ上げて きたとしています。  翌日午前7時に出港した艦隊は、 リンガ泊地に向かいました。この時は、 清霜が先導し、大淀、足柄、羽黒、 伊勢、日向、榛名、霞、朝霜と 続きました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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