SSブログ

巡洋艦大淀 ジョホール市までの半舷上陸 [巡洋艦大淀]

 1月9日、大淀は、リンガ泊地に向かい ました。そこには、再度の突入作戦の 猛訓練が待ち構えているということ でした。  夕刻になり、リンガ泊地に着いた大淀では、 早速猛訓練がはじめられました。この泊地に いるのは、伊勢、日向、足柄、大淀、朝霜、 霞、杉、樫、榧の9隻でどの艦も、激しい 闘志を燃やして猛訓練に励んでいました。  夜になると、駆逐艦隊は、伊勢、日向、 足柄、大淀を、敵艦隊と想定し、て襲撃 してきました。この駆逐艦隊を、敵高速 魚雷艇軍とみなして、4隻は、突入戦の 技を練りました。  この合同猛訓練が続いていた22日夜に、 大淀は、機関部に故障が起きて、セレター 軍港の回航となりました。  セレター軍港は、B29が頻繁に来襲 するとかで、高雄はマレー半島寄りの 岸辺に隠れるように碇泊していました。  高雄は、甲板上に椰子の葉をかぶせ、 艦隊もまだらに塗り分けてカモフラージュ していました。名物の浮きドックも撃沈 されたらしく、その姿は見えませんでした。  大淀は、岸壁に係留され、早速機関部の 修理に取りかかりました。この修理中 ジョホール市までの半舷上陸が許可 され、角田上水と一緒に市内見物して 歩きました。  街角で、一人の少年が人なつこく微笑み かけてきました。小淵氏が誘うと、ついて きました。インドネシアの少年で、日本語も 達者でした。  小淵氏らは、大きな熱帯樹の木陰に行って、 腰を下ろしました。ここは、高台となっており、 赤道直下の暑さも忘れさせるような涼しい風が 吹いていました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦大淀 シンガポールのもう一つの顔 [巡洋艦大淀]

 上陸をした翌日、昨日艦に残っていた 人達が上陸していったので、当直舷の 小淵氏らは、艦内整備作業と、各種の 当直に当たりました。  午後、処理された不発弾が艦内の大淀神社に 飾られました。高さが1.2m、直径30cm ほどの巨大なもので、黒光りする不気味な 鉄の塊でした。この爆弾であけられた穴は、 溶接で完全にふさがれました。  1月6日、再びシンガポール市への半舷上陸が 許可され、小淵氏は再びシンガポールに行きました。 小淵氏は、この街では、自分が買うばかりでなく、 持っている物を売ることもありました。  物を欲しがるのは、現地の12,3歳の子供たちで、 タバコはかなりいい値で売れました。大通りに面した 建物は、立派な鉄筋コンクリート造りでしたが、一歩 裏通り足を踏み入れると、みすぼらしい木造家屋が 立て込んでいました。  その裏通りにも華僑の少年たちがいて、見境なく 小淵氏らを引き止めました。  市内から海岸通りに出ると、岸壁にドイツの 潜水艦が係留されていました。司令塔に 像の絵が描かれていました。それを眺めて いると、大男のインド人が来て、握手を 求めました。  胸のバッチには、「印度独立の志士」と描かれて いました。道路端には、サソリを体に這わせて 客寄せしている者や、手品などをしている者等が いましたが、全てインド人でした。  やがて、帰還時刻になり、駅に向かうと、少年が、 「兵隊さん。バナナ安いよ。」といってバナナを 売っていました。  他の子達は、マスターと呼んでいるのに、この 子だけは兵隊さんと呼んだことが珍しく、 小淵氏は、この子からバナナを一房 買いました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。