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巡洋艦大淀 シンガポール市の観光 [巡洋艦大淀]

 1月4日、昼間のみ8時間の半舷上陸が 許可されました。シンガポールまで行ける ことになり、上陸番の小淵氏らは、引率 されて駅に向かいました。  その途中で、小淵氏は、珍しいことに、 同郷の友であり、同じ特年兵の関兵長に 出会いました。彼は、高雄に乗り込んで いるということでした。  聞くと、高雄には、数名の特年兵が乗り 込んでいるということでした。これまで、 同期の特年兵には出会えていなかったので、 懐かしくなりましたが、あまり話すことも できずに、別れることになりました。  シンガポール市へ向かう汽車から、激戦が 行われたブキテマ高地が見えました。それは、 少し小高い丘になっているだけの草原でした。 緑の草原が果てしなく続いているここは、 今見る限りでは、本当にのどかな感じでした。  シンガポール市へつくと、自由行動が許可 されたので、数名の仲間と一緒に市内見物を しました。ジョホール市とは比較にならないほどに、 にぎやかな街で、道路端には露天商がずらりと店を 並べていました。  売っている物は、生ゴムで作った品物や、 ワニ皮の製品、テンの毛皮で作った財布や ハンドバッグなど、珍しい物ばかりでした。  良い土産物になると思い、小淵氏は、生ゴムの 靴や手袋と、ワニ皮とテンの毛皮の財布を 買って、帰還しました。  しかしながら、艦に戻ると、「内地に帰れると 思うのか。」「無駄なものを買い込んでくるなよ。」 「突入作戦があるから、ボカチンだぞ。お土産など 買って損したな。」と大笑いされました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 命の洗濯 [巡洋艦大淀]

 分隊士は、1時間位戻ってこないという ことでした。  小淵氏は、大淀に乗り込んでから一度も泳いだ ことがなく、退屈しのぎに泳いでみたくなりました。 操舵手に、分隊士が戻ってくるまでに上がることを 条件に、許しを得ました。  小淵氏は、早速、汚れてはいないものの、 濁って見える海水に飛び込みました。水温は、 内地の真夏と同じくらいでした。しばらく気分良く 泳いでいると、操舵手が、「その辺にはワニが いるぞ」と、驚かしてきました。  桟橋に戻ろうとすると、「後ろから海蛇が 追っかけてくるぞ。」と言ってきました。ぎょっと して、夢中で桟橋にあがりました。やがて、 分隊士が戻ってきました。内火艇はすぐに 大淀に戻りました。  夜には、総員で戦勝祝いが行われました。 各分隊の居住区は、激戦を切り抜けてきた 歓びが爆発しました。  そのうち、分隊長や分隊士なども、下士官の 居住区にやってきて、和気あいあいの宴会に なりました。  分隊長も皆にせがまれて、唱わされているし、 分隊士も引っ張り出されて、「飲み比べ」を やっていました。  「今まで言うことを聞いてきたのだから、 今日だけは俺の言うことも聞け。」とばかりに、 分隊長や分隊士に絡んでいる猛者もいました。 誰も彼も、命の洗濯とばかりに、はしゃぎ 回りました。  翌日、大淀は、桟橋に横付けされたまま、 陸上の送油管から重油が補給されました。 午後、警戒警報が発令され、間もなく解除に なりました。  正月の2日、3日は、大した作業もなく、 艦内で休養しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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