SSブログ

巡洋艦大淀 全くわからない遊撃部隊 [巡洋艦大淀]

 大淀がブルネイ泊地に停泊して3日目の 午後、小淵氏が見張りに立っていた時、 右舷前方から、「重巡らしきマストが 見える。」という報告が来ました。  小淵氏は、やっと帰ってきたかと思い ながら眺めていると、水平線の彼方から、 スマートな艦姿がぽっかりと浮かんで きました。重巡洋艦足柄でした。  小淵氏は、足柄に続いて遊撃部隊の 雄姿が現れると期待しましたが、入港する 艦は足柄以外ありませんでした。こうして、 11月10日も暮れていきました。  レイテ沖海戦で、遊撃部隊がどのような 戦果を上げたのか小淵氏らは、何も分かりま せんでした。戦闘地域が広大で、彼我入り 乱れて展開された戦闘であったため、 概略さえも分からなかったというのが 真相でした。  11月11日、ブルネイ泊地は、快晴で 強烈な陽射しがありました。海岸端は、 密林が見えるだけで、建物も見えな ければ、人影などは一切見られません でした。  ミリで重油の補給に来た油槽船の 船員が、小猿を肩に乗せていました。 小淵氏が、その猿を眺めていると、 「あれはポケットモンキーと言って、 この辺にはいっぱいいるらしい。」と 兵曹が言ってきました。  動物好きの小淵氏は、この珍しい 小猿を連れている船長か航海長だかの、 そんな事ができる人が羨ましくなりました。  日中の甲板上は、焼け付くような暑さ でしたが、夕方近くになると、風が出て 来て、しのぎやすくなりました。この日の 日没頃、「遊撃部隊が帰って来たぞ。」と いう声がしました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
nice!(0)  コメント(0) 

巡洋艦大淀 武蔵撃沈 [巡洋艦大淀]

 遊撃部隊の居所を探して大淀は早朝には、 ミリを出港しました。  遊撃部隊はミリかブルネイにいるということ でしたので、今度はブルネイに向かうことに しました。ブルネイまでは、4時間ほどの 航海でした。  艦隊がいるのかと思っていましたが、高雄が 1隻、碇泊しているだけで、他の艦影ありません でした。  高雄は、左舷前部に、大きな穴があいて いました。雷撃による損傷のようでした。艦首は、 通常より3mも海中に沈んでいました。  碇泊した大淀に、大淀から給油を受ける ために、海防艦が横付けしてきました。この間、 大淀内では、遊撃部隊は空襲を避けるため、 どこかへ出港したという噂が流れました。  大淀は、高雄と通信しており、これが種々の 噂の元になっていました。小淵氏ら、機動部隊の 面々は、遊撃部隊の戦果を知りたいと思って いました。  ただ、マニラの状況を見て、あまり芳しい ものではないと感じていました。艦内に、 「レイテには突入しなかった。」「帰ってきた 重巡は、高雄だけ。」「山城と扶桑も沈んだ。」 という悲観的な話ばかりが耳に入りました。  「武蔵が沈んだ。」という話には、小淵氏は、 「なにかも間違いだ」と叫びたくなりました。 しかし、これらの噂話が真実味を帯びて きました。  「武蔵は、艦隊を救うため、犠牲になって 1000機もの敵機をひきつけて戦った。」という 話を聞き、小淵氏は泣きたくなりました。  この後、大淀は、ブルネイ泊地に何日か 停泊しましたが、遊撃部隊は帰って来ません でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。