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巡洋艦大淀 重要物資輸送命令 [巡洋艦大淀]

 泊地に戻った大淀は、毎日激しい訓練が 続けられました。  すでに、フィリピン島の至るところに敵が 上陸しており、各地の守備隊が苦戦して いました。  間もなく突入作戦が行われるだろうという噂が 艦内で広がりました。乗員は、訓練は飽き飽き しており、「早く戦闘に出て、ひとあばれしたい ものだ。」と、語っていました。  2月5日の夜、「明朝9時に出港し、セレターに 向かう。」という通達がありました。ついに作戦 命令が出ました。  参加するのは、伊勢、日向、大淀、朝霜、霞、杉、 樫、榧で、足柄は、数日前に別の作戦命令を 受けて、どこかへ出撃していました。  2月6日、セレターに入港した艦隊は、翌日から 物資を積み込み始めました。この時、作戦命令は、 「内地で不足している重要物資を満載して内地に 帰投せよ。」ということであると、分かりました。  乗員は、内地に帰れると大喜びしていましたが、 小淵氏は、この艦隊が引き揚げてしまったら、 後はどうなるのだろうかと考え、寂しいような 気持ちになりました。  翌日も、ガソリンやドイツの潜水艦が運んできた 水銀などの積み込みを行いました。水銀は、鉄製の 容器に入っていて、60kgくらいの重量があり、 大変な貴重品だということでした。  2月9日には、駆逐艦がペナン島から運んで きたスズの積み込みをしました。他に、艦内の 備品などが陸揚げされ、第二軍装(夏服)や 外套なども集められ、陸揚げされました。  少しでも多くの重要物資を、内地に運ぶため でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 アブドラ少年 [巡洋艦大淀]

 木陰で休んでいた小淵氏の耳に、ついてきた 少年の、透き通るような声の歌が聞こえてきました。  小淵氏らが知っているような歌はみんな 知っていました。小淵氏は、改めて少年の 名前をたずねると、アブドラと名乗りました。  眼のパッチリしたまつげの長いアブドラ少年は 13歳だと答えてくれました。ジャワ島の生まれで、 父親がセレター軍港で働いているので、ここに 来たということでした。  イギリス軍につれてこられたとか、母親は戦争で 行方不明だとか、色々語ってくれました。やがて 帰還の時刻となり、再開を約束して別れました。  ジョホールからセレターまでは、かなりの道のりが あり、砂利道を急ぐ足は重く感じました。空襲で 駆け抜けなくてよいのが、幸いでした。  2日後、半舷上陸が許されたので、小淵氏は、 アブドラ少年と約束したところに行ってみましたが、 いませんでした。父親の手伝いをしているという ことなので、セレター軍港に行っているかも しれないと考えました。  大淀の機関の修理は大分かかるようで、さらに 2日後、3回目の半舷上陸が許されました。角田 上水と一緒に再開を約束した場所に行って みましたが、いませんでした。  小淵氏らは、その場で話し込んでいた時、背後に アブドラ少年が、微笑みながら立っていました。 小淵氏らは、アブドラ少年を中心にして、合唱 しました。彼はいい声の持ち主だったとしています。  機関の修理が終わり、大淀がセレター軍港を 出発したのは、1月31日でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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