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巡洋艦大淀 カムラン湾 [巡洋艦大淀]

 12月12日の朝、大淀内で噂になって いた出撃命令が正式に伝達されました。 ただちに臨戦準備が下命されました。  午後になり、セレター軍港から足柄が 帰ってくると、すぐに出港命令がありました。 その日にカムラン湾に出撃し、途中何事も なく、カムラン湾に入港したのは、 12月14日の早朝でした。  丸く入り組んだ湾の沿岸は、人家が立ち 並んでいましたが、港湾らしい施設は見かけ られませんでした。ひなびた漁港のような 感じでした。  翌日になると、港内に碇泊している艦の まわりに、現地の人達が小舟にバナナや パパイヤを積んで、物々交換にやって きました。彼らは、カミソリや万年筆、 一升瓶などを欲しがりました。  それらをロープに結んで降ろしてやると、 その品物相応の果物を結び付けてよこし ました。しかし、この果物釣りも食中毒や、 伝染病の危険があるということで、すぐに 禁止されてしまいました。  だが、禁止されるとかえって面白がって やる者が出てきました。後甲板の物陰に こっそりと回らせて、バナナを釣り上げて いました。生野菜が不足する艦内では、 果物がスタミナの補給に役立っていました。  カムラン湾の水は綺麗に澄んでおり、 小魚が群れをなして泳いでいました。 錦の布を流したように、水中で光り 輝いているアジの一種を見かけました。  入港してから4日目の12月18日早朝、 艦隊は空襲を避けるため、サンジャックに 向かいました。小淵氏は、敵機が飛んできた 様子はありませんでしたが、もう敵に感知 されてしまったのかもしれないと考えました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 リンガ泊地における戦闘訓練 [巡洋艦大淀]

 猫またで食が減退していた乗組員でしたが、 新しく乗艦してきた人達は、食欲が旺盛でした。 新兵はどこに行っても腹をすかせていると 考えられました。  この様子を見ていた小淵氏は、自分が 海兵団に入団した当時のことを懐かしく 想い出しました。そして、第一期特年兵も、 今や花の兵長となっているはずでした。  最近誰ともあっていませんでしたが、 みんな元気でやっているだろうかと 考えていました。きっと皆、若さに ものをいわせて張り切っているに 違いないと考えていました。  リンガ泊地における戦闘訓練は、 今までになく厳しいものでした。しかし、 誰もが激戦に生き抜くため、という 強い信念で取り組んでいるので、 苛酷とは思いませんでした。  むしろ、猛訓練を積むことによってこそ、 どんな激戦でも切り抜けられる軍艦に なるのだと、乗組員はみんな自覚し、 進んで訓練に励んでいました。  小淵氏ら下級者は、戦局がどのように 進んでいるのか詳細は分かりません でしたが、レイテ沖海戦で多くの艦が 撃沈したことを知っているので、残った 各艦の責務がいよいよ重大なものと なっていることを痛感していました。  やがて、開戦記念日の12月8日が やってきましたが、ここに碇泊している 艦隊は相変わらずの猛訓練に、明け 暮れるばかりで、出撃命令は 出ませんでした。  戦艦榛名はいつの間にかいなくなって おり、内地に帰還したと囁かれていました。 羽黒もセレター軍港に行ったまま帰りません でした。  そんなある日、「この艦隊に出撃命令が出た。 今度は大変な作戦らしい。」と艦内に噂が 立ちました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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