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巡洋艦大淀支障なし [巡洋艦大淀]

 大淀が受けた2発の250kg大型爆弾は、 甲板や舷側に直径40cmほどの穴を 開けただけで、兵器や機械、艦の 機能には何らの支障も与えません でした。  煙突の右側には、第一高角砲塔と、第三 高角砲塔が、前後に配列していました。その 中間のところから、明かりが漏れているのを、 艦橋から見つけた分隊士が、「こんなところで 明かりを使っているのは誰だ。」と怒鳴りました。  高角砲員が見に行くと、いつの間にか穴が 空いており、灯火が漏れていたという、笑い話 でした。大淀は、奇跡的に救われました。  大淀は無事でしたが、艦隊では無事でない 艦もありました。この作戦を指揮している 木村昌福司令官の麾下にある清霜が 執拗な猛襲により直撃を受け、航行を 停止しながら後方に遠ざかってしまいました。  しばらくすると敵機は遠ざかり、雲の合間からは 下弦の月も覗いていました。大淀は、淡い月光を 浴びながら驀進する艦隊から高速で離脱しました。 そして、目標のサンホセ港の敵情を偵察すべく、 水偵を発進をしました。  大淀は、僚艦の足柄と一緒に、快速で突進 しました。この快速に、駆逐艦隊は少しずつ 遅れだしました。 (追記)  以前、木村昌福(きむらまさとみ)中将を 紹介した時、著者の木俣滋郎(きまた じろう)氏が、 戦後、大淀の内田航海長にこのときのことを質問 しています。  木俣氏は、「乗組員、皆大淀神社のご加護に よるものと深く敬虔な祈りを捧げずにはおれな かった」と、この時の状況を手紙で受け取って います。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 250kgという大型爆弾の直撃 [巡洋艦大淀]

 小淵氏が、赤々と照らし出された足柄を 見ると、左舷後甲板の前部に、双胴の敵が 火達磨となって激突し、炎上していました。  これは、撃墜されながらの突入でしたが、 日本軍の特攻同様の猛襲でした。足柄の 火災を目標に、今度は高空から大型爆弾の 雨が降り注ぎました。  双胴の悪魔が消えると、上空から大型爆弾の 雨が降り注ぐという二重の襲撃方法でした。 その中を驀進する大淀も、ついに250kg という大型爆弾の直撃を、2発くらいました。  暗夜の上空から投下される爆弾は、いかなる 名航海長といえども回避する手段はありません でした。  さしもの、「大淀もここに終焉を告げる大爆発と ともに砕け散って、ミンドロ島西方の海底深く 没し去った。1944年12月26日午後9時30分。」 となるはずでした。  ところが、大淀が受けた直撃弾は、2発とも信管を 着装し忘れた不発弾でした。このため、直撃を受けた ことを知ったのは、乗員の一部だけで、大部分は知りも せず、戦っていました。  1発目は、第一砲塔の前方10mくらいのところに命中し、 甲板を突き破って、そのまま参謀長室と外版を突き破って、 海中に抜け落ちました。  二発目は、艦中央部の煙突右の上甲板から中甲板を 貫通し、缶室に飛び込んで缶の回廊である鉄製の棚の 上に横たわりました。この突然の闖入者に、びっくりして 気絶した機関兵がいたようでした。  爆弾が飛び込んだ缶室は、直ちに火を止め艦内に ある扇風機をかき集めて、爆弾と缶を冷却しました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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