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巡洋艦大淀 礼号突入作戦の敵機の体験談 [巡洋艦大淀]

 小淵氏は、戦後、今回の作戦(礼号突入 作戦)の際に、日本艦隊を攻撃したB24機長の 体験談を、戦史研究家の鎌田実氏から知らせて もらい、以下のことが判明したとしています。  12月26日、B24の機長だったポール・ スティーブンス氏は、タクロバンを発進し、 カムラン湾に向かいました。  湾内に係留中の水上偵察機に銃撃を加え、 タクロバンに戻る途中、ミンドロ島の西170海里で 日本艦隊を発見しました。  スティーブンス氏は、艦隊から8海里の距離で、 追跡を開始しました。開始した頃から、重巡洋艦から 発砲が開始され、艦は、白い煙の中に姿を消して しまいました(重巡は、大淀を重巡洋艦と 勘違いしたものです)。  ミンドロ島に近づいた時、電話で友軍と交信を 始めていましたが、ミンドロからは上陸用舟艇の 有無を聞いてきました。  当時、サンホセにいた艦船は、リバティー型、 及び、ビクトリー型の輸送船ばかりで、軍艦は、 魚雷母艦だけで、この船が空襲にあい、 炎上しました。  ミンドロ島の滑走路は柔らかく、大型機にとって、 望ましいものではありませんでした。案の定、 泥の中に車輪をとられました。その後、基地 司令から、敵艦隊に上陸用舟艇がいるか、 確認されましたが、いないと報告しています。  そして、スティーブンス氏は、「攻撃加わり、 敵艦を撃沈せよ。」と命令を受けました。「自分の 任務は偵察です。」とは流石に言えず、生きて 帰れる確率は、全くありませんでした。  そして、500ポンド(約227kg)爆弾を 4発欲しいと要求し、OKをもらっています。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 生きていること [巡洋艦大淀]

 大淀で、右舷の見張りに立っていた 小淵氏は、舞い降りて来たロッキードが、 朝霜に突っ込んでくるのを見ました。  投下された爆弾が、巨大な水柱となって 天に冲し、朝霜の姿は、すっぽりと包まれ 見えなくなりました。  小淵氏は、「朝霜がやられた。」と思わず 叫びました。しかし、水柱の滝の中から 艦首が現れ、抜け出すように艦橋が 見えた頃、水柱が消えました。  その後、双胴の悪魔は、飛行機雲を曳き ながら艦隊のまわりを飛び続け、すきあらばと 狙っていました。しかし、昨夜のように接近して こないので、機銃も撃ちませんでした。  昼間は不利と見たのか、敵機は遠回りに 艦隊を監視し続けていました。しかし、正午 近くになり、諦めて引き揚げていきました。  午後、足柄の英霊の屍を水葬にして いました。後甲板から50数柱が、赤道直下の 海中に葬られ航跡の下に沈んでいきました。  足柄の艦中央部よりやや後方の上甲板は、 めり込んで、喫水線上に大きな穴が明けられて いました。そのまわりには、激突した敵機の 執念の跡が、生々しく残っていました。  敵機が去って、二時間ばかり経過した時、 数条の雷跡が艦隊を襲いました。今度は、 敵潜水艦の襲撃でした。しかし、これは 見張りさえ厳重にしていれば、恐れることは ありませんでした。どの艦も無事に航行して いました。  明けて28日、昨夜までの曇天が嘘のように 晴れ渡り、洋上には、朝日がきらめいて いました。  ちぎれ雲の飛んでいる奥深い青空が、故郷の 秋空を想わせました。小淵氏は、その青空を見て、 生きていることが無性に嬉しくなりました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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