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巡洋艦大淀 サンジャックに入港 [巡洋艦大淀]

 今回の作戦でも、大淀は、誰も戦死する ことなく、またしても無傷でした(爆弾が 貫通した穴があいたはずですが、 小淵氏にとって、この程度は、損傷と 言わないということでしょう)。  あらためて勝利の実感が心の奥底から、 湧き上がってきました。この先頭に参加 した者は、生きて帰らずの意も堅く 出撃したのですが、大淀は精強さを 発揮していました。  突入艦隊がカムラン湾に戻ったのは、 午後4時頃でした。伊勢や日向はいません でした。艦隊が碇泊すると、大淀の水偵が 滑走してきました。任務を終えて、一足先に 帰投していたようでした。  翌朝、早々と艦隊のまわりに、物々交換が 目的の小舟が集まってきました。小淵氏は、 「隣村のおっさんがこんなところに来ているよ。 いつやってきたのだろう・・・。」と見間違うほど、 日本人そっくりでした。  彼らの乗っている小舟は、植物の葉を 編み、樹脂を塗り込んだもので、片手で 差し上げられるほど軽そうでした。その中に 座って、櫂を押しやってきました。小淵氏は、 おかしな漕ぎ方だと感じました。  午前11時、出港用意のラッパが鳴り響き、 艦隊は動き出しました。今度の行く先は、 サンジャックでした。翌日の12月30日早朝に、 サンジャックに入港し、岸壁からだいぶ 離れたところに碇泊しました。  そこで、正月に備えて大掃除が命じられ ました。各分隊は、居住区や受け持ち甲板 掃除に取り掛かりました。今年も終わりなので、 今までの汚れを洗い清めろということのよう でした。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 爆弾がへそを曲げ? [巡洋艦大淀]

 カタリナや、マーチンの飛行艇が、 時おり攻撃しているのが、上空から 見えました。  サンホセに近づくと、炎上している 輸送船を残して、他の船は姿を消して いました。  ミンドロ島と、イリン島の間にある泊地に 隠れているようでした。上空からは、日本 艦隊と味方の輸送船が良く見えました。  敵艦隊に見つかれば、PTボートやその 母艦なんぞは、ひとたまりもありませんでした。 しかし、敵は隠れている輸送船団から離れて 行きました。  日本艦隊は、一波で炎上させた輸送船に、 今一度一斉射撃を加え、視界から消えて いきました。ここまでが、スティーブンス氏の 証言でした。  小淵氏は、この証言を聞いて、スティーブンス氏は、 戦場の緊張感で、常に敵は、自分たちより大きく、 速く、重装備だと考えてしまうと正直なところを 語っておられたとしています。  実際、足柄を戦艦、大淀を重巡洋艦と見間違えて います。大淀が、不発弾を受けたのは、夜半の9時半頃 でしたので、主砲も高角砲も使うことはできませんでした。 大型機であっても、機影を視認することはできなかった としています。  信管は入れてあったと証言していることから、 小淵氏は、トラックから足蹴りにされた爆弾がへそを 曲げて爆発しなかったということなのかもしれない としています。  (なお、この後、大淀の艦底部から引き揚げた 爆弾には、信管の他に、尾翼もついていないことを 確認しています。  スティーブンス氏がつけたのであれば、羽が 曲がったため、投下中に風圧で信管と一緒に 脱落したというのが真相のようです)。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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