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巡洋艦大淀 娘一人に婿8人 [巡洋艦大淀]

 小淵氏が砲弾を運ぶために大和との間に かけられた桟橋は、ユサユサとゆれて いました。  しかし、誰もが平気でそれを、駆け渡って いました。それでも、このような作業は何度も 経験しており、事故は起きませんでした。  大和の甲板に上がった小淵氏は、驚く ことが多々ありました。トラック島で横付け した時は、巨大さにびっくりして、細部を 見る余裕はありませんでした。  今回改めて見て、甲板の厚みが、 大淀の10倍もあることに驚きました。 砲塔の装甲は推して知るべしで、外舷の バジルは物凄い張り出しようで、どこを 見ても怪物としか言いようがありません でした。  そして、大和の姉妹艦の武蔵は、 ついに帰らなかったということでした。  11月13日、炎天下の甲板で物資の 分配がなされました。大淀が、マニラから 積めるだけ積んだ物資なので、内火艇 では運びきれませんでした。  翌日も同様に内火艇が群がるの光景が 広がり、小淵氏は、娘1人に婿8人という 風景に見えました。  11月15日、大和に横付けした大淀は、 主砲対空弾の移載を行いました。小淵氏も、 連日の重労働に疲れ切っている体に、 15.5cm砲弾は、肩の骨が砕けるかと 思える程に重く感じました。  しかし、対空主砲弾も持たずに危険地帯を 駆けずり回り、心細い思いをしたことを考え れば、いくら辛くても、それに替えられない 安心感が湧いてきました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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巡洋艦大淀 大和から補給 [巡洋艦大淀]

 遊撃部隊が帰ってきたという報告を聞き、 小淵氏は、上甲板に上がりました。やがて、 前日に足柄が入港した当たりから、戦艦の 艦橋が見えてきました。  思わず、バンザイと叫びたくなるような 衝動を押さえ、雄姿を見守っていました。 戦艦は、大和、長門、金剛、榛名の4隻、 巡洋艦が、羽黒、矢矧、そこに駆逐艦4隻が 付き従っていました。  港内にいる、足柄と大淀で、艦隊ここに ありという感慨でした。数からすれば、大艦隊 とは言えないものですが、小淵氏は、大艦隊の 集結のように思えました。今まで、悲観的な 話ばかり来ていたことによるものだと思えました。  泊地内に碇泊した艦艇に、大淀は盛んに 信号を送っていました。夕日が沈み、西方の 空が燃えている頃、各艦の内火艇が大淀に 群がってきました。  マニラから搭載した物資や弾薬の配給の ためでした。艦内はにわかに忙しくなりました。 分配が一区切りつくと、大淀は、大和に 横付けし、やっとすれ違いができるほどの 幅の桟橋が、かけられました。  小淵氏らは、12.7cm高角砲の砲弾を 担いで、大和の甲板に行き、代わりに 15.5cm砲弾を譲り受けて、大淀に 運びました。  ブルネイ泊地にいる艦で、大淀の主砲で ある15.5cm砲弾を持っているのは、大和 (副砲に使用しています)だけでした。  大淀は、大和から60発の砲弾を受け取り、 夜半に作業を一旦打ち切って、大和の 舷側から離れました。  翌日も、大和に横付けし、同様に 主砲弾を譲り受けました。 紹介書籍:“巡洋艦「大淀」16歳の海戦 少年水兵の太平洋戦争” 著者: 小淵 守男
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